2007.01.01

今年のぼくにできること

未来は輝かしくあってほしい
きみは笑うかもしれないけれど
ぼくはまだ間に合うと思ってる

ひとりでも多くの人が
家族や友人と笑いあい
愛する人と結ばれる世界

未来は輝かしくあってほしい
不信と飢餓と憎悪の世界から
信頼と満足と友愛の世界へ

硝煙におう戦場に、街角に
おびただしい血が流れ
怒りが各々を遠ざけ
理解できずに憎みあい、
多くの涙が流れた時代

そんなものは遠い過去となり
人類の揺籃期だったと
歴史家は、結論づけるのだ

きみに未来を語りたい
かわり得る世界を語りたい
かわり得るぼくたちを語りたい
なにをすべきかを語りたい
なにができるかを語りたい

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2006.12.25

ビクターの犬

 おとといの夜、MDを買い込みに近所のTRIALに寄った。そこで発見したのが、VictorブランドのMD10枚パック。韓国製だがSONYやTDKに比べ格安なので買ってきた。
 パッケージを眺めていると、現在のVictorのロゴのまえには、蓄音機のまえで小首をかしげている有名な「ビクターの犬」のマークがついている。そこには小さく英文で"His Master's Voice"と記されている。

「ビクターの犬」のエピソードについては、こちらをご覧ください。
http://www.jvc-victor.co.jp/company/profile/nipper.html

 じつはVictor系CDショップ「HMV」はこの頭文字をとったものだそうだ。

 「ビクターの犬」の置物はうちにもいる。昔のテレビかステレオについてきたものと思うが、何についてきたのかはまったく記憶にない。本体の家電はとうになくなっても、この置物だけはずっと家の飾り棚においてあった。

Hmv_1

 翌日(昨日)の新聞に「松下、ビクターを売却」のニュースが載った。一瞬なにか因縁めいたものを感じたが、VictorのMDが安売りになってたこと自体、この噂がその業界ではとうに知れ渡っていたゆえのことなのだろう。これも世の流れかもしれないが、ちょっと寂しい。
http://www.asahi.com/business/update/1223/004.html
http://slashdot.jp/article.pl?sid=06/12/23/2150208

 それにしてもこのわんこはかわいいね。俺は犬は大好きなんだけど、中学1年の春から大学卒業までをともに過ごした雑種の雌犬「もも」が死んでから、ほかの犬を飼ったことは残念ながら一度もない。

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2006.12.18

アラビアのロレンス

 アジア大会も終わった。カタールのドーハで開かれたアジア大会の開会式を見ていて、やけにこの映画を見たくなった。この週末、安倍復古政権によって教育基本法が改悪されてしまった最悪の週末をなんとか乗り切るために、この古い映画を見てみようと思い立って、DVDを買ってきた。

 アラブの砂漠に身を投じたT.E.ロレンスを描いた伝記映画。舞台は第一次世界大戦当時の帝国主義列強の思惑が渦巻くアラビア。当時のアラビアはオスマン帝国の占領下だったが、イギリスはトルコからの独立を望むアラブ人を味方につけ、トルコ領の帝国主義的分割に利用にしようとしていた。映画の中にも、イラク、パレスチナ、ヨルダンをイギリスが、レバノンを含むシリアをフランスが分割した悪名高きサイクス=ピコ協定の名が登場する。一方でイギリスはアラブ人とフサイン=マクマホン協定を結び独立の支持を約束、ユダヤ人とはバルフォア宣言を結びシオニスムに支持を与える。現代の中東問題の悪しき根源ともなった有名な「イギリスの三枚舌」の一端である。
 歴史的事実は置いておいても、ピーター・オトゥールが陰影深く演じたロレンスと、アラブ系俳優オマー・シャリフ演じるアラブのハリド族の長アリの描写がまた素晴らしい。反抗的で時間にルーズだが芸術と文学を愛した軍人だったというロレンス。粗暴なアラブの男という印象だったが、ローレンスに接して政治を学ぶようになったアリ。男と男の対立とその後の友情が美しい。
 映画は、ロレンスの理想と戦い、そして苦悩が描かれる。この物語はおよそ90年も前の話だが、現代の中東はさらに混迷を深めており、そして現実にはロレンスのような人間はいない。ロレンスも、おそらく映画とは異なる実像をもった人物だったのかもしれない。しかし、俺はこの映画を敬愛してやまない。

 この映画はアラブ、しかも戦争がテーマとあってか、女性がまったくといっていいほど登場しない。当時のハリウッド映画としては、戦争映画とはいえ、ロマンスシーンがないのは珍しいのではないのだろうか。2枚組のDVDは、40年以上の歳月を越えて美しい映像を見せてくれる。特典映像のメイキングも充実している。

 かつてテレビではじめて見たとき、冒頭でオートバイを整備するシーンにやられた(その後事故死するさまと、彼の葬儀のシーンを描いてこの物語ははじまる)。自分自身大学生のときは、朝早く起きてオートバイを整備し、郊外に走りに出かけるのが大好きだったからだ。

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2006.07.14

マルセイユの英雄に何が起こったのか

 ここ数日、ずっとジダンのことを考えている。ピッチを去っていく彼の背中が忘れられない。あの慎み深い彼をあのような行為に駆り立てたものは、いったいなんだったのだろう。家族について口汚く罵られたのが原因だというが、実際のところはまだよくわからない。おれ自身、子どもの頃家庭環境を揶揄され、たまらず相手をぶん殴ったりした経験もある。(無論、事態はさらに悪いほうへ進んでしまったが)。だから、彼の心の痛みは少しはわかるような気がする。決して暴力は容認するつもりはないが、マテラッツィの差別的発言が事実なら、彼にもペナルティが課せられてしかるべきだろうと思う。

 今回のワールドカップでは、試合前に各チームの主将が「私たちはあらゆる人種差別に反対します」とメッセージを読み上げていたが、そのワールドカップの決勝の舞台にすら、民族差別の影を見ることになったのは残念なかぎりだ。

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2006.06.20

「四日間の奇蹟」 ~角島へ~

 月曜日に山口県下関市(旧豊北町)の角島に行ってきた。どうせ行くならなら女性の友人でも誘えば楽しかろうが、今回はそういう根回しはなんにもできなかった。そもそも、平日の休日にめずらしく早起きしてしまい、ヒマだから角島にでも出かけようと、まったく唐突に思いついたのだから致し方ない。ひとり気楽に出かけるしかなかった。ゴンチチの"Strings with Gontiti"とボサ・ノヴァのオムニバス。2枚のMDを聴きながら、よく晴れた海辺のR191を流した。窓から差し込む日差しは、時折肌に痛みさえ感じるほどだったけれど、それもなんだか心地よかった。

Bridge

レクサスGS450hのCMでもおなじみの角島大橋
(映像の終わりごろに登場)。

Bridge2

 美しい曲線を描く橋をわたり角島にはいる。エメラルドグリーンの海はまるで南海の楽園を思わせ、ここが山口県であることを忘れてしまいそうだ。

Sea

 じつはこれまでにも2回ここへ来ている。はじめて角島を訪れたのは3年ほど前で、2度目はつい先月だ。クルマ好きな友人たちとつるんでのツーリングで、海の幸を食しようと久しぶりにこの島を訪れたのだが、そのとき行った仲間に、この島でロケが行われた「四日間の奇蹟」という映画について聞かされ、島に残る教会のセットなどを見てまわった。
 角島から帰るなり、DVDを借りてきてこの映画を見てみた。唐突にもういちど角島に行ってみたくなった原因はこれ。

Toudai

Cotage

Chapel

 映画に登場した福祉施設の宿舎は、じつは島のキャンプ場のコテージ群で、教会のセットは、キャンプ場利用者用のトイレに改装されていた。このセットは映画の撮影終了後も3年間保存されることになっているらしい。映画が公開されてからおよそ1年たっているが、島の観光客向けのおみやげを売るお店には、今もなお映画の宣伝ポスターが張ってあるところがいくつもある。期間限定ではあるものの、いわば新しい観光名所ともなっている。この日は月曜日だったので、訪れる観光客も少なく、角島大橋もロケ地周辺も灯台公園もなんだか閑散とした印象だった。映画は冬の角島でロケされたが、今は初夏。映画に描かれなかった角島の四季もまた見てみたいものだと思った。午後5時くらいまでのんびり過ごしたが、まもなく夏至を迎えるころで、日は長く、海に沈む夕日を見られなかったのは少々心残りだったが。

 俺は日本の映画はあまり見ないほうなのだが、佐々部監督の映画はひと月ほど前にNHK BS2で放送された「チルソクの夏」を見たばかりだったので、ちょっと興味を引かれていた。「チルソクの夏」は1970年代を背景に、韓国人男子高校生と日本の女子高校生の恋愛を扱った映画で、こちらも下関が舞台だった。かつて韓国は近くても遠い国だったが、当時から下関はどこよりも韓国に近かったのだ。劇中にも、下関を出航する関釜フェリー登場していた。聞けば佐々部監督は下関の出身だという。

 じつは「四日間の奇蹟」について、ベストセラーになったという原作も含め、俺はまったく知らなかった。DVDに特典映像として収録されていた映画の予告のテレビスポットで見た、主人公が手を血まみれにして叫んでいる映像や、平原綾香の歌う主題歌には微かに覚えがあったけれども。
 全編を通じて、ショパンやベートーヴェン、ドビュッシーのピアノ曲をはじめ、心を揺さぶる美しい音楽が流れる。そして主人公を演じた吉岡秀隆をはじめ、ヒロイン役の石田ゆり子も、西田敏行や 中越典子も、愛すべき魅力ある人物を好演している。この映画に出てくるのは本当に心優しい人ばかりで、そこらへんが俺のようなヒネクレ者には何となく納得のいかないところであるし、超常現象が出てくる映画はそもそも好きではない。 にもかかわらず、この映画のことが印象に残るのは、ヒロイン石田ゆり子の美しさと、もうひとりのヒロインの少女を演じている尾高杏奈の演技があまりに素晴らしかったからに他ならない。俺は奇蹟を信じることはないけれど、奇蹟を信じたい人の気持ちは理解しようと思う。人が心から癒されるためには、せめて虚構の世界の奇蹟を必要とするのだろうか。先月初めて見たときにはなんとも思わなかった教会のセットも、映画を見てから再び目にすると、やはり何かしら感慨を覚える。

 俺が無神論者だいうことは、このブログで何度か書いてきたことである。俺が6歳のとき父は白血病で死んだ。神や仏の違いもわからぬままに、父の病気が治ることを祈ったものだった。そんな幼い願いなど、神には結局届かなかったし、父は決して生き返ることはなかった。以来、俺はいかなる神も信じたことはない。
 父の臨終のときのことを、今でもたまに思い出すことがある。父の病室に親類があつまり、末期が近いときに、俺と幼い弟はなぜか病室から連れ出され、アイスクリームを与えられた。俺は父がもうすぐいなくなるということを本能的に感じ取っていた。そして、俺がアイスクリームを食べているまさにそのとき、父は逝った。

 思春期になると、俺は身の回りにあるちょっとした神秘主義にも噛み付き、攻撃し、悪態をついた。正直に告白すれば、天罰を下せるものなら下してみろと、誰もいない神社の境内でわざわざ立ち小便をしたこともある。
 そして神だけでなく、神や仏を信じる人々も許せなかった。星占いなんぞにうつつを抜かすクラスの女の子たちをさんざん馬鹿にしたし、幽霊を信じる友人を罵倒した。法事に来る坊さんの説法がはじめるとさっさと退室した。当時の俺はまったくもって嫌な奴である。

 今はさすがに歳をとったのか、人間も丸くなり、信仰を持つ人のことを少しは理解しようと考えているが、俺にとっての神は未だこの世界のどこにもいない。

 余談だが、母によると、俳優の平田満は父に似ているんだそうな。この映画にも出演しており、脳科学研究所の所長の役をやっている。俺の記憶の中にある父の面影は、別に平田満とダブったりはしないのだが、そう言われてみると、実家にある父の遺影もなんとなく平田満と似ているような気がしてくる。母はどのような気持ちで映画やテレビに登場する平田満を見ているのだろうか。

Car

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2006.05.08

「ガウディへの旅」

 俺の部屋には数年前からテレビがない。自室のPCのビデオキャプチャボードとIBMの21型PCモニタをテレビ代わりにしてきた。まあ安物のソフトウウェアエンコードのものなので、PCへの負担も大きいうえに録画品質もよくなかったから、もっぱらテレビとしての役割しか果たしていなかった。もちろん我が家にHDDやDVDのビデオ録画機などというものはない。
 ところが、きのうたまたま立ち寄ったPCショップにて、安価なハードウウェアエンコードのビデオキャプチャボードを見つけたので買ってきてみた。これなら昔録りだめたVHSビデオのライブラリを、DVD化できると思ったからだ。

 夜中にせっせとPCに取り付けて、動作チェックをしてみる。チューナーは地上波用しかついていないが、目的がビデオテープのデジタルキャプチャなので、アンテナはつながず、ビデオデッキの出力から録画品質をチェック。
 昨晩はNHK衛星第2放送で「いちご白書」をやっていた。「日米の学生運動の様子もあまりかわらなかったのだなあ、しかし彼らはベトナム戦争に直面していたし、兵役の問題もあったのが日本の学生との違いだよなあ」などと考えながら、録画品質をチェック。テレビ視聴用に使ってきたPentiumIII 933MHzの旧型PCでも、一見したところあまりコマ落ちはないようなので、まあ及第点としよう。

 今日になって、試しに1989年に録画したあるドキュメンタリーをDVD化することにした。この1989年という年は天安門事件、冷戦の終結、ベルリンの壁崩壊と世界が激動した年であった。日本でも元号が昭和から平成にかわり、美空ひばりや手塚治虫が亡くなるなど、いろいろあった年だった。そのためか、NHKの時事系のドキュメンタリー番組を録画したものが数多く残っている。「天安門 ~ソールズベリーの中国~」「1989年ニュースハイライト」「チャウシェスク政権の崩壊 市民が撮った革命の7日間」。
 当時、俺は法学部の学生だったはずだが、なぜそんなものをたくさん録画していたのかいまや自分でもよくわからない。そえでも当時はなぜか記録しなければならぬという使命感に燃え、せっせと録画していたようだ。

 そのころ録ったテープの中で、この東海テレビ製作「ガウディへの旅」は、NHKの番組でなく、時事関係の番組ですらない、建築家アントニ・ガウディの生涯を追ったドキュメンタリーである。
 ナレーションをつとめる奥田瑛二によるランボーの朗読で、番組ははじまる。バルセロナの歴史と風土、よりよき資本家のあり方を目指した理想主義者グェルとの出会い。コロニアグェル、グエル邸、バトリョ邸、ミラ邸など、バルセロナ各地に残るガウディの建築を巡りながら、ガウディの生涯に迫っている。
 アントニ・ガウディが亡くなったころ、カタローニャは辛く厳しい冬の季節を迎える。人民戦線内閣を武力で打倒したフランコのファランヘ党一統独裁体制は、彼の亡くなる1975年まで続く。フランコの人民戦線への協力者や、政権批判者への弾圧は過酷なものであった。
 その後、スペインは民主化が進展し、1986年にはEC(現在のEU)に加盟も果たした。バルセロナでも、サグラダファミリアの建築が再開され、このドキュメンタリーが制作された3年後には、オリンピックが開かれた。

 このような地方局制作のドキュメンタリーをよくまあ録画していたものと思う。番組の間に挿入されているCMから、おそらく深夜の時間帯に放送されたものと思う。ネットで情報検索してみてもほとんど情報がなかったが、どうやら東海テレビ制作のドキュメンタリーで、平成元年度の日本民間放送連盟賞を受賞した作品らしいことだけはわかった。

 そんなわけで、古いビデオテープを漁っていると、アントニ・ガウディをテーマにしたサントリー・ローヤルのCMも出てきた。ガウディの建築を背景に、奇妙なクリーチャーがいろいろ出てくるなんとも不思議なCMである。

Gaudi_3

このシリーズはほかにランボー編、ファーブル編というものもあり、マーク・ゴールデンバーグの音楽も非常に知的で文学的な雰囲気を醸し出していて、すごく好きだった。数年前、とあるブログの紹介からランボー編とともにこのガウディ編の動画を入手してはいたのだが、画質には満足できるものではなかったので、こちらもキャプチャしてみた。
 しばらくこちらに置いておきますので、よろしければどうぞ(ただしエンコードはMPEG1です)。もうすぐインターリンクとの契約が切れちゃうので、期間限定です。

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2006.01.01

まわる地球を想像する

地球が太陽をひとまわり
そのあいだおれは何を為せるだろう

旅をしたい
ひとと会いたい
美味いものを食いたい
妙なる音楽を
素晴らしい芸術を
味わい深い酒を楽しみたい

子どもたちを
もっと喜ばせたい
大切なひとと語り合いたい

小さな宝箱を大切にしつつ
世の不条理とたたかうことを
わすれたくない

一人静かに部屋にあっても
まわる地球を想像したい


 明けましておめでとうございます。昨年俺はここで「やるべきことをしっかりやれば、きっと今よりよくなるはず。」と書きました。昨年はいいことも起きましたし、悪いことも起きました。毎度のことですが、例によって世界は変わっていくはずだと、たいした根拠もなく確信してます。

みなさん今年もよろしくお願いいたします。

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2005.12.12

ドレイクの方程式

 BANYUUさんのブログ「裏・21世紀の歩き方大研究」の「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由、を読んで」というエントリを拝読し、「ドレイクの方程式」のことを思い出した。
 ドレイクの方程式とは、アメリカのフランク・ドレイク博士が1960年代に発表した「宇宙に知的生命体がどれくらい存在するか」を推定する有名な方程式である。

N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L

N 我々の銀河系に現存する地球外文明の数
R* 我々の銀河系で形成される恒星の数
fp 恒星が惑星系を有する確率
ne 1つの恒星系で生命が存在可能な惑星の数
fl 上記の惑星で生命が実際に発生する確率
fi 発生した生命が知的生命体にまで進化しうる確率
fc その知的生命体が星間通信を可能とする文明を獲得する確率
L 星間通信を行うような文明の推定存続期間

 コーネル大学でドレイク博士の同僚だったカール・セーガン博士の「コスモス」を読んでこの方程式を知ったのは、中学生のときだっただろうか。当時は米ソ冷戦のさなかで、核戦争の危機はすぐそこにあるかのようだった。

 情緒的には、文明が自滅せず長続きしていれば、いつか異星の知的生命体とコンタクトすることもあるだろうと思いたい。人類がまだ他の惑星の知的生命体と出会わないのは、まだ地球人類は知的生命としても技術的にも未熟だからなのだと。
 しかし言い換えれば、自滅してしまうような文明は、宇宙にあふれている他の生命と出会う資格はないということでもあるわけだ。いつまでも孤独で、いつまでも同族同士の殺し合いばかりやっている地球人類は、「文明とは、結局自滅していくものだ」ということを実証する無数の例のひとつになりはしないだろうか。このことを考えるといつも慄然とする。

 セーガン博士は、この方程式の「宇宙に存在する文明の多いか少ないかを決定付ける要素は、文明の存続期間(L)である」という点を強調し、核戦争による人類の滅亡を警告する一方で、知的生命体を探す壮大な試みとしてのCETI(のちのSETI)を提唱した。

宇宙人に会いたければ、戦争をやっている場合ではないのである。

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2005.12.01

九州国立博物館を探訪

 さて、11月に入って、週末の休みは講習会のためになくなり、かわって月曜日が休みとなった。ちょうど同僚講師から九州国立博物館の開館記念展「美の国日本」の入場券を頂いたので、休みを生かしてドライブがてら見に行ってきた。なんと期間内無休ということなので、すこしでも人が少ないときに行こうと、あえて週末をはずし11月13日の月曜日に行ってきたのだが、見事に目論見は外れた。バスツアーのお年寄りや修学旅行生がたくさんいて、めちゃくちゃ人が多いじゃん。

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 博物館の外観は、こんな感じ。巨大でモダンな建築だが、まわりは森なので全景を見渡すことはなかなかできない。とにかく京都や奈良の国立博物館とはまったく違う未来的な雰囲気だ。これって本当は森の中にあるより街の中のほうが映えるデザインなんじゃないかな。

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 内部を見た感想は、巨大な格納庫に無骨な博物館がすっぽり包まれているような異様な感じ。なかなか他にない特徴ある建築だとは思うんだけど、なんだか巨大な万博のパビリオンみたいだ。ふんだんに使われたヒノキ材の匂いが香る館内。

 およそ3時間くらいかけて、企画展と常設展すべての展示を見る。トイレや休憩スペースも各所に配置してあるし、展示そのものはすごく興味深いものだった。惜しむらくは、狩野永徳「唐獅子図屏風」が見られなかったこと。展示期間がなんと俺の行く前日までだったらしい。でも雪舟「四季山水図・冬」や「花下遊楽図屏風」なども見ることができてよかった。

 常設展のアジア関連の展示も非常に興味深く感銘を受けたので、企画展がないときも退屈することはないだろう。


 軽食スペースにも、ミュージアムショップにも、とにかく、博物館という空間にあんなに人がいるのをはじめて見たよ。でも、例のパビリオンのような建築のおかげで(笑)なんだか違和感はなかったね。

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2005.11.24

秋の山菜定食

 10月のおわりごろ、河内貯水池まで出かけてみた。紅葉はいまいちだったが、空気はひんやりとしてきていて、明らかに夏とは違う秋の風情。その日は、河内貯水池そばで古くから営業している、とある食事処で食事をとった。俺は十代のときからバイクでよくこの貯水池にに来たものだったが、記憶を辿ってみれば、その頃からすでに営業していた老舗のお店だ。年配のご夫婦が経営されていて、静かな雰囲気。

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 その日は秋の山菜定食をいただいた。どう、美味しそうでしょ。

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