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2004.04.30

「愛国心」って何だ?

 俺は日本に生まれ、この国で成長し生活してきた日本人だから、もちろんこの国が大好きだ。しかし俺は自分を愛国者と称するつもりはない。「愛国心」という言葉には俺の中で一種のバイアスがかかってしまっていて、むしろ敬遠したい言葉のひとつだ。

 こう書くと、色めきたって「戦後教育が日本人の愛国心を失わせた」などと言い出す連中が、今のこの国にはうんざりするほどいる。この国で「愛国心」などという言葉を好んで使いたがる奴らは、自分たちがいかに「祖国を愛しているか」を誇示するため、常に国の内外に勝手に「敵」をつくりデカい声で悪罵を投げつける。「国を愛すること」のモノサシが「日本国の象徴」や「日の丸・君が代」への忠誠心を表すことであると勘違いしている連中だ。俺はそんな奴らと絶対に一緒にされたくはない。

 どこの国でも、自国を戦争に引き込むような指導者たちは「祖国のため」といって戦意を鼓舞するものだ。しかし、彼ら「愛国者」は決して本当の意味で国を愛してはいない。国の宝であるはずの若者を遠い戦地で死に追いやり、場合によっては祖国に爆弾の雨を降らせる彼らがどうして国を愛しているといえようか。最後に残るのは愛すべき「祖国」の破壊と荒廃だ。唐の詩人は「国破れて山河あり」といったが、山河だけ残ってもそこには廃墟と人々の涙しかない。過去の歴史が証明しているように、勝っても負けても戦争というものは国をひどく傷つける。

 こういうことを書くと「敵が攻めてきたらおまえはどうするのか」などといわれるかもしれない。俺だって守りたいものや価値はいくらでもある。ただあえて言うなら「攻めようがない強大な国」よりは「攻めたくならない国」を作ったほうがいいと思うよ。「愛国心」のためあえて敵など作る必要はないともね。「有事」の際にどうするかを想像するより、なんとか「有事」を起こさないようにできないものかと思う。

 誰だって自分の故郷の山河や人々が好きだし、それを包み込む日本という国も愛しているだろう。そんなかわいらしいナショナリズムは、えらそうな政治家にわざわざ教えられなくったって、子どもだってすでに知っている。
 しかし、さらに視野を広げて「日本という国を育んだアジアの歴史や文化が好きで、さらにそのすべてを擁するこの多様な世界(地球あるいはこの宇宙)が好きだ」という人がいたっていいだろう。こういう考え方は「宇宙ナショナリズム」あるいは「コスモポリタニズム」とでも言うべきなのだろうか。そういう人を俺は少なからず知っているし、できれば俺もそれにくみしたいと思っている。同胞と同じように同胞でない者も愛そうとするような人間は、奴らは「愛国者」とは呼ばないだろうがね。

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言葉について

 10年くらい前にはやったトレンディ・ドラマって言葉。もはや死語かもしれないけれど、結局似たようなドラマはいまだに量産されている。タイトルやキャッチフレーズにひところよく使われたのが「愛」って言葉。「純愛」「究極の愛」「世紀の愛」「愛のなんちゃら」・・・口にするのは恥ずかしいけど、本当はみんな好きなんだよねえこの言葉。

 ドラマの登場人物たちは皆「愛している」はずの異性とのコミュニケーションに苦しんでいる。でも、自分の気持ちを表現する語彙が希薄であるがゆえに苦悩し続けているのは、何もドラマの中の主人公たちだけじゃない。誰だって一度は燃えるような恋をしたことがあるだろう。気持ちのすれちがいに夜も眠れぬほど悩んだ経験もあるだろう。だから登場人物がどんなに生活感がなく、浮き足だっていても、見ている連中にはある種の共感を呼ぶことができる。自分を表現する「言葉」をもたないがゆえ、相手の「言葉」の背後にあるものが理解できず、自分の気持ちを伝えることはむしろ「優しさに欠ける」と思ってる少年少女(あるいは元・少年少女)は特にね。

 なにも口先だけで愛を語れと言っているのではない。好きな異性に対する愛情の表現というか、自分の気持ちを伝える手段はいろいろ考えられる。でも、観念としての「愛」というものが実在するとして、どんな手段であっても、「愛そのもの」を相手に伝えることは不可能じゃないか。なぜならそれ自体に実体はないからだ。少なくとも俺たちの大半は、テレパシーを自由に扱える超能力者じゃない。俺たちは愛の存在への確信を言葉や所作や行為によって愛する人に伝え、同様に相手からも愛の存在証明を得ようとして涙ぐましい努力をしている。

 「愛は言葉じゃない」などとしたり顔に言う奴がいるが、こういう奴はその言葉だけでなく人格までも薄っぺらく見える。俺なら「愛なんてものは所詮言葉ぬきには語れねえんだよ」と言いたいね。 「愛」(何度も書いているとさすがに恥ずかしい)を語るには、互いが人生の経験の中で学んできたさまざまな表現を用いなければいけないと思うよ。愛しているからって最初からいきなり押し倒すわけにはいかんだろう。

 俺たちは頭の中に辞書を一冊抱え込んでる。人によって厚かったり薄かったり古かったりするかもしれない。その辞書は、人生とともに必ず厚くなっていく。
 言語の進歩もまたそういうものだった。言葉は多義的なものから単義的なものへと進化してきた。もちろん時とともに忘れられていく言葉もあるだろう。しかし、新しく作られる言葉のほうが、失われる言葉よりも圧倒的に多い。だから言葉の数は増えていくし、辞書は厚くなっていく。

 辞書を意図的に薄くすることは、ジョージ=オーウェルが「1984年」で描いた「新言語(ニュー・スピーク)」の悪夢。言語表現の幅を意図的に狭めることは国民を暗愚に導く。だから俺は教科書を薄く、内容を浅くしようという試みには反対する。

 少年少女よ、愛する人のためにも日本語を学ぼうぜ。


 かつて個人Webに書いた文章を大幅に削除および加筆し、文体をこのblogのものに統一して掲載した。

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2004.04.29

社会科講師のマニフェスト

 タレント上がりの国会議員が、イラクに行って人質事件の被害者になった人々を反日分子扱い。この国はどういうことになっていくんだろうね。
 奴らの言う愛国心なんて糞くらえだが、俺自身はこの国を愛しているよ。

 この国のどこが好きかっていわれると困るが、とりあえずこの国の憲法が誇りだと言おう。GHQの押し付けだという意見もあるけど、かつて法学部を志し法律を学んだのも、元はといえば、この日本国憲法を系統的に学びたかったからだ。今から思えば法学部を志望する動機としては非常に甘いものだったけどね。

 改憲論がかつてないほど高まりを見せている昨今、改憲論者が念頭においているのはいつも9条だね。1条から象徴天皇を削除し国民主権を明確にするなんていう主張の改憲論者にはほとんどお目にかかったことがない。あろうことか一部の与党の政治家には、天皇の国家元首化の主張まで見られるようになってきた。ほんと危険な兆候だね。

 憲法記念日を前に、中学生相手に公民分野の憲法講義。ゴールデンウィークの休日のひとつがどういう日であるかということにはじまり、現在の憲法とその制定過程、あわせて基本原則の概念を簡単に説明。こう書くとその手の人々には小難しいイデオロギー教育でもやってるのかと言われそうだが、なんのことはない学習指導要領に沿った普通の授業である。
 だが生徒に憲法の平和主義の条項を紹介するとき、自衛隊や安保条約など現実との乖離を説明するのに苦しまされるよホント。

 もちろん俺は中学や高校の教師じゃないので、自分の信条に関する発言は自由にやらせてもらっている。一般の教職でなく、いわゆる受験産業にかかわっている俺のような者のある意味で強みだろう。

 誤解を避けるために言っておくが、べつに受験に名を借りて反権力の教育をやっているわけじゃない。もちろん違憲論も合憲論も紹介するし、判断に必要な客観資料も提供しているつもりだ。ただし、単純に両論を並べて相対主義を示すことはよくないと思っている。「俺はこの立場に立つ」というスタンスは相手が大人だろうが生徒だろうが明確に示してもよいはずだ。そしてさらに「君はどう思うのか」と問うてみたい。

 とはいえ、俺の意見に無批判に追従してくる受け身なよい子ちゃんにはこんなことを言ってからかってしまう。

  "Don't Trust Anyone Over 30...."(もちろん冗談ですってば)

 結果として俺と違う思考をもっている生徒になったとしても、批判的思考のできる生徒を幾人か育てられたら講師冥利に尽きるというものだ。塾や予備校講師なら、ただ志望校に合格するように受験指導だけすればよいではないかといわれるかも知れないが、じつは経験的にも、洞察力を持った生徒をつくることが実際志望校に合格させることへの近道だったりする。未来への洞察力に満ちた人間は自分やこの国のあるべき未来の姿も見通せるものだ。


P.S. "The School Of Rock"見たいなあ。

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2004.04.25

ケプラーの「夢」

 瀬戸智子さんが「瀬戸智子の枕草子」でガリレオについてお書きになった「それでも地球は回っている」に触発され、俺が心ひそかにその生涯に惹かれているドイツの天文学者ヨハネス=ケプラー(1571~1630)について書こうと思う。

 惑星運行の法則で有名なヨハネス=ケプラーは、魔術と科学的知識がないまぜになった一種のSF小説を書いている。その名も「夢」(Somnium,1634)という作品だ。

 主人公ドゥラコトスは、精霊と話のできる母の誘いで月世界(レヴァニア)に旅する。月面が山や谷やくぼ地(クレーター)がたくさんあるところだと書き、当時ガリレオが望遠鏡で発見したばかりの最新知識を紹介している。最後は表題どおり「夢だった」で終わる。現代のSF小説ならありえない夢オチも、当時ではやむを得ないものだったのだろう。
 また主人公の母が不思議な力を持つ魔女であったり、主人公がティコ=ブラーエの天文台を訪ねていることなど、明らかに自伝的な要素もある。

 ケプラーの母カタリーナは、薬草など、当時の人々から見れば怪しいものを売って生計を立てていたいたそうで、そのために魔女の疑いをかけられた。また、この小説も母親に対する魔女容疑の根拠のひとつに挙げられた。ケプラーは科学者として母を弁護し、魔女の疑いを晴らしたという。当時の魔女裁判は、裁判とは名ばかりで、有罪として財産を没収するのが目的の裁判だ、これが本当なら大したものだ。

 ケプラーが天体について研究したのは、もともと占星術を学ぶためだったとか。現代に生きる俺は、個人的には占星術なぞ現代では「エセ科学」の代表的なものだと思っているが、当時、科学と非科学の境は、今ほどはっきりしてはいなかったと思う。宗教紛争に明け暮れていた当時の社会的状況が、人々の認識を強く拘束していたはずだ。マルクス風に言うと「存在」が「認識」を規定していたわけだ。

ケプラーの言葉
「幾何学は天地創造の前からあった。それは神の御心とともに永遠である。・・・・幾何学は、神に天地創造の手本を示した。・・・・幾何学は神それ自身である。」

 科学的思考とは、「動機」ではなくその「思考」そのものにあるのではないだろうか。当時の人々にとって、当時最新の技術であった望遠鏡によって観測されるさまざまな物理法則の神秘は、当時の人々にとっては神の存在を否定するものではなく、むしろ神の偉大さや完全性を感じさせるものだったに違いない。だからといって彼らの偉業が、科学の歴史の中で輝きを失うことは決してない。
 カール=セーガンは、失われてしまったケプラーの墓碑銘のかわりに、次のような言葉を贈っている

「彼は、幻想も強く愛したが、もっと強く確実な真理を愛した」


※参考
 伊藤典夫編:「世界のSF文学」(自由国民社)
 カール=セーガン著、木村繁訳「COSMOS」(朝日新聞社)

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2004.04.24

ソラリス再び

 タルコフスキーの「惑星ソラリス」のDVDを買ってしまったことは以前書いたけど、このところまるでBGVのように繰り返し流してる。じっと見ているわけじゃないが、あの独特の音響と時おり流れるJ.S.バッハのオルガン曲が心地よい。
(原曲はコラール「我、汝に呼びかく、主イエス・キリストよ」)

 大バッハの曲が流れるSF映画には、カート=ヴォネガットJr.原作、ジョージ=ロイ=ヒル監督の「スローターハウス5」がある(こちらはグールドの弾くピアノだ)。バッハの楽曲がもつ内省的な響きは、ある意味SFのもつ思弁的な側面にぴったりだ。自分としては「自我の目覚め」の時期だったと思う中学生のころ、バッハの音楽に出会い、さらにSFというものにも出会って世界がひっくり返るほどの衝撃を受けたので思い出深いよ。

solaris2 そのころスタニスワフ=レムの原作小説は読んでおり、すでに大好きな作品のひとつとなっていた。しかし、タルコフスキーの映画は名作として知られており憧れていたものの、実際に接することはできなかった。当時、ソ連の映画のビデオなどそうそう出回っていなかったし、第一中学生にそんなものを買うお金はなかった。映画のビデオはそのころの俺にとってうんと高いものだったのだ。
 大学生のとき、ようやくビデオを入手してみたタルコフスキーの映画は、独特のノスタルジックな映像にはじめ違和感もあった。おかげで原作の緻密さは感じられずむしろやや冗長に感じられたが、これは監督の趣味だったようで、後になって「ノスタルジア」とか「サクリファイス」でも語られたイメージだとわかった。
 彼の映画とそのスタイルは独特の個性をもっている。初期のいくつか作品を見るうちに好きになっていった。とくに「僕の村は戦場たった」はモノクロだが衝撃的だ。一方で、晩年の作品に目立った「惑星ソラリス」とも共通するソ連の映像作家らしからぬ一連の宗教的で美しいイメージにはついていけないところもあり、やや困惑したことも事実だ。まあ、だからこそ彼は亡命を余儀なくされたのだろう。

solaris4  プロローグ(というには長すぎるね)の地球上のシーンは、彼の独特の詩情を組み込んで原作の説明的な部分を映像的に消化しようとしたのだろう。原作では主人公がソラリスステーションの図書室にこもってソラリス研究について長々と調べる場面があるが、これはとても映像化になじまない。ただ現在映像化するなら、バートンの報告を主人公が図書室で映像資料としてみるだけでもいいのではないかと思う。
 映画は、原作を読んでから見た「2001年宇宙の旅」と同様に、原作への一種のイラストレーションの役割を果たしてくれた。もはや小説を読み返すとき、アタマに蘇るイメージはタルコフスキーの映画のそれだ。ケルヴィンはドナータス=バニオニスでなければならず、クリスはあの美しいナタリア=ボンダルチュク以外考えられない。スナウトやサルトリウスもあのロシアの渋い俳優たちでなければならないのだ。

 原作と映画には微妙にテーマのずれがあることはわかっている。レムのいう「異星の未知の知性体との出会い」よりも、タルコフスキーは「故郷や肉親への郷愁」のほうに関心があったのだろう。映画についての有名なレムとタルコフスキーの対立はそこにあったのに違いない。小説と映像では表現できるものが違うからある意味それは当然だ。「2001年」にだってクラークの小説とクーブリック映画ではの解釈に違いがある。レムやクラークはあくまでSF作家だが、タルコフスキーやクーブリックはあくまでも映像作家だからね。

 レムについては、科学者でハードSF作家でもあり、自身SFファンの権化のような石原藤夫氏が「『ソラリス』の主人公は科学者なら最低限やるであろう実験も行わないで、ただ悩んだりしている。理系からみれば理解に苦しむ。レムはあくまで文科系のSF作家だ」というようなことを書いていたが、同じく文系の俺はレムの魅力はむしろそこにあると思うわけだ。そしてタルコフスキーもまた文系人間の典型だろう。

 俺が科学者だったとしたら、科学のため、研究のために恋人の姿をしたものをばらばらにして研究できるだろうか。もしそうなら、科学者にならなくてよかったかもしれない。いや、なれはしない。レム以上に文系人間である俺は、科学的思考に憧れながらも、レムやタルコフスキーの悩み多き主人公に強くシンパシーを覚えてしまう。

 こうなったら、ソダーバーグのほうも見なけりゃね。

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2004.04.23

1984年

 いまや古典のジョージ=オーウェル「1984年」。この作品に登場する全体主義国家における「新言語(ニュースピーク)」とよばれる言語の辞書は、版を重ねるにつれ言葉狩りがすすみ、政府に対して批判的な表現ができなくなる。表現しようとしてもその言葉がみつからないのだ。

 主人公は、禁止されていた「日記を書く」という行為を通じて、「テレスクリーン」から流れる「ニュース」に疑問をもっていく。戦争で名誉の戦死をとげた人物の名がいつのまにか別人にかわり、長く果てなく続く戦争の相手が、いつのまにか別の国にすりかわっているという具合だ。日記をつけることによって、彼はその社会のあらゆるものに不審の念を抱くようになる。

                ※                  ※

 かつて2人の日本人外交官は治安状況を甘く見て行動し殺害された。しかし彼らの行為は賞賛されこそすれ自己責任を問う議論はなかった。なのに今回の人質は自己責任もわきまえない愚か者扱いとなった。お上のやることは常に正しく英雄的で、民間のシロートは国際貢献などしなくてもよいということなのだろうか? イラク復興にかかわっていいのは外交官や自衛隊だけなのか? それとも、今回の人質は殺されなかったから英雄でなく愚か者とでもいうのか?

そういうのを二枚舌というのだ。
彼らもひとしく英雄的だとなぜ言えぬ?
国際貢献への参加までも
官民の区別や、思想・信条で
差別されなければならぬのか?

 blogという日記にはできるだけ正直な言葉を綴ろうと思う。変わり身のはやい奴らは、現実社会にも、ネットという「テレスクリーン」にも大勢いるからね。

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2004.04.21

がんばれマラドーナ

 マラドーナが急性高血圧で重体に陥ったというニュース。原因が薬物によるものかどうかはわからない。大丈夫かマラドーナ。最近はキューバなどで薬物からの脱却をはかる治療を受けていたということは聞いていたのだが、超一流のサッカー選手だった男がよりによってサッカー場で倒れるとは・・・。

 報道されている病名が正しければ俺が2000年に緊急入院させられたときと同じ病名だ。そのころの俺は体重が急に減り、鼻血を頻発し、血尿もあった。また眼底出血で目が見えにくくなり運転も満足にできないうえ、朝から猛烈な頭痛と吐き気で仕事に出かけるのも必死という状態だった。そんなに急に血圧が上がるなんて予想もしていないのでまったく原因不明だった。

 俺は奴と違って薬物なんかやってないけどね・・・・。

 生来の病院嫌いもあり、同僚から厳しい忠告を受けても通院を渋っていたが、症状が日々悪化してきたので、仕方なく病院に行くと、なんと下が200、上が250という即死的な血圧。大病院に紹介状を書くといわれ、紹介先の病院では外来にもかかわらず緊急入院させられた。初めてICUというものに入った。丸2日ほど降圧剤の点滴ばかりで意識朦朧。
 このときは生まれてはじめて死を覚悟した。いま考えると面白いのは、ICUで、神のようなものに会い信仰を迫られる夢を見たことだ。夢の中ながらきっぱりと断ることができた。あやうく神秘主義に転落するとこだったよ。

 一週間ほどで一般病棟に移ったが、医者に「早く退院させろ」といったら、「死にたいのか」といわれた。なんでも、血圧が上下とも200以上の人がそのまま5年以上生存する可能性はほとんどないらしい。データを見せられても納得できず、病室から当時禁止されていなかったPHSでノートPCをネットにつなぎ、Webでいろいろ調べたら、まあなんと恐ろしいことばかり書いてあるじゃないの。ようやく事態を把握したと同時に、最近自分に起こっていることと辻褄が合っていることに気がつき愕然としたのをありありと覚えている。

 それにしても原因が不明なので、ありとあらゆる検査をされゲンナリしたなあ。脳腫瘍の疑いまでかけられてアタマにMRIの検査をされたときは耳元でガリガリ轟音がして死ぬかと思った。20日あまり入院し、数本の点滴と何種類もの降圧剤、まったく味のない病院食で過ごした結果、なんとか血圧も落ち着き退院を果たした。その後目もしっかり見えるようになり、体調はかなり回復した。

 でも原因は結局不明だった。今回のマラドーナと同じように心臓の肥大も指摘されたから、既知ではあるが生まれつきにもつ心臓病が原因なのかもしれない。もしそうならまだ爆弾を抱えているわけだ。

 じつは最近、いくつかの降圧剤が切れてしまった。通院をややサボっているのだ。はやく通院し処方をうけないと、また血圧が上昇して死の宣告をされるか、その前に脳の血管がプチッといくかだ。

 入院以来、有無をいわさず塩分は俺にとって毒薬とされた。自分でも味覚や食品の好みが変わってきたと思うよ。大好きな「一龍」のラーメンさえも3か月に1回食うか食わぬかといったところ。こらえ性のない俺が自制できるのだから我ながら進歩したものだ。いまやゆず味噌とトーフだけで飯が食えるんだから。

 阪神の星野前監督も持病が高血圧だそうで、昨年夏には試合中に嘔吐したともきく。その状況がなまじ理解できるので、退任表明を聞いたとき、阪神ファンの俺としてももいたしかたないと思うほかなかった。

 それにしても、マラドーナである。1986年メキシコワールドカップでの5人抜きは神業だった。サッカーの神を信じる奴のもとには奇跡のようなことも起こるみたいだ。
 でも彼は、サッカーの神の庇護のない人生の準備はできていなかったんだろうね。
 プロスポーツの名プレイヤーというものは、なぜか引退後その後の人生もうまくいく人と、身を持ち崩してさびしい人生をおくる人とにはっきり分かれるものだ。ペレやジーコなんかと比べるまでもなく、彼には人生における器用さがまったく足りなかった。

 神なんか信じるからだよと思いつつ・・・回復を祈る。

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2004.04.17

原風景

 突然だが、俺は工業地帯の夜景が好きだ。

 高速道路から見おろした工場地帯が俺の故郷。北九州生まれの俺は幼いころ、夜の工場の煙突から紅蓮の炎が上がっていたのを見て、なんだかワクワクうれしかったのを覚えてる。今から思うと「ブレードランナー」の冒頭に出てくる近未来L.A.の夜景にちょっと似てたな。
 数年前、山口県の新南陽市(いまは周南市か)を通ったとき、夜中まで煌々としている工場群の明かりのなんと美しかったことか。いまはもう斜陽の北九州工業地帯とはちがって、そこはまだ現役ばりばりの工場群。ピカピカ、チカチカ。手塚治虫や松本零士のSFマンガみたい。
 工業文明を礼賛してるわけじゃない。北九州の工場群は喘息の原因の煤煙を撒き散らしていた。小学校の友だちのひとりはそれで永久に遠くへ行ってしまった。でもこれは俺の原風景。

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マジになってきた

 同僚や元生徒らとやっている土曜の週例バドミントンは、今日ついに新たな段階に入った。同僚のI先生のご主人はポリテクの先生をされていて、最近まで国際協力事業団(JAICA)の仕事でアフリカのセネガルに行っておられたのだが、ようやく帰国されたので今回からバドミントンに来ていただいた。この人は地域のクラブにも参加されていてハンパじゃなく強い。今までのバドミントンに対する甘い認識をひっくり返された。いつものメンバーは誰もまったく歯が立たず、俺なんかいつのまにかレクチュアを受けていた。これを実力向上のチャンスととらえて精進しようと思う。
 最近やや参加者が少ないので、幹事のSくんにはがんばってもらいたい。無論、彼だけに頼るわけにもいかないけどね。

 今日は暑くて暑くて、まるでもう夏。練習に着ていった赤いポロシャツに白い汗のあとがくっきりと浮き出た。汗をかきすぎたため脱水気味で、家に帰ってからやや熱が出てしまった。夕方まで3時間ほど横になったら楽になったが、バドは真剣勝負の様相だし、これから暑くなっていくので、水分の補給を怠るとマズいことになりそうだ。

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匿名の功罪

 解放された3人の日本人の人質について、小泉首相以下、いかにも頭の悪そうで無責任な日本の政治家が、ネット上の多数意見(?)に同調するかのように「自己責任」という言葉を乱発し、相応の費用負担を求めるなんて言っているようだ。
 しかし小泉の拝み奉るアメリカは、仮に人質が政権に批判的だからといって、救出や帰国の費用を自国民の人質に請求するだろうかね。そのアメリカのパウエル国務長官が「日本人は3人を誇りに思っていい」と発言したのが興味深く感じられた。

 パウエルは国連安全保障理事会でイラクに大量破壊兵器が存在する証拠があると力説したが、いまとなっては真実は笑えるほど明らかだ。ブッシュ政権にいたことで彼の政治家としての国際的な評価は大いに下がったことは間違いないと思う。それでもあの政権ではまだまともなほうなのだろう。
 ライス補佐官やラムズフェルド国防長官の顔なんか、悪魔みたいにアタマに角が生えてそうだ。事実、イラク戦争が激しかったころ反ブッシュ系のサイトなんかではそういう画像をよく見かけたが、パウエルについては不思議とそういうものを見ない。彼はネオコンではないし、うすら笑いの似合うライスやラムズフェルドとは違って、ブッシュ政権の振る舞いの弁解に立ちときおり困ったような顔を見せることがある。アーミテージ国務副長官なんかと同じで、戦争を肌で知っている軍人の出身だからなのかも知れない。

 そういえばブッシュ大統領はベトナム戦争のとき、親のコネで兵役逃れをしたんだっけ。前任者クリントンみたいに思想上の理由ならまだしもね。

 どこでも、声をあげる奴、声がでかい奴の意見がまるで多数派のように見える。ネットならなおさらだ。リアルワールドにおける世論調査のようなものはないからね。
 古今東西、匿名が保証されると人は饒舌になる。もちろんそれで真実を語れるようになる人もいるし、無名の大衆にまぎれて他人を攻撃する卑怯者もいる。

                ※                  ※

 今回、さらに2名の日本人人質が釈放されたのは、政府の努力もあるのかもしれないが、これまで日本がイラクに対して伝統的にとってきた友好的な政策を知っていたことや、イラクにいる日本人にはイラク人にとって敵対的な人はほとんどいないんだってことを、イラクの人々にある程度理解されたことも大きいだろうと思う。
 ただ、今回も前回の3人とおなじイスラム教スンニ派の聖職者協会が人質解放の仲介をしたが、彼らが反米、反占領の立場をとっていることをすべての日本人は忘れてはならないと思うよ。今後の小泉政権のふるまいは、イラク人の日本人に対する歴史的な評価をくつがえし、自衛隊員を含むイラクにいる日本人の運命を一変させるかもしれないのだから。

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2004.04.16

惑星ソラリス

 先日友人と街に出ていたとき、タルコフスキー「惑星ソラリス」のDVDを見つけた。ソダーバーグの「ソラリス」のほうは安く手に入るのに、こちらは6000円以上する高額なDVD。
 これ、デジタル処理して画質をよくして音声が5.1サラウンドなんだとか。70年代はじめのソ連映画がそんな凝った音響だったなんて知らなかった。
 俺はこの映画、VHD(!)からダビングした画質の悪いVHSテープしか持ってないから、強烈に欲しくなったぞ。バドミントンのラケットを買いかえるつもりだった週末だけど、こっちに走りそうだわ。

※追記
 結局このDVD買ってしまいました。ちょっと高いのはロシアからの輸入版だからみたい。日本語の吹き替えはないけど字幕はなんと十数ヶ国語入っていて思わず遊んでしまった。ハリー役のナタリヤ=ボンダルチュクはキレイな人だね。特典映像で彼女の近年のインタビューも収録されてたけど、品よく年齢を重ねたロシアのお母さんって言う感じだった。

※阪神最下位転落。なんでやねんとも思うが、とやかく言うべきことはない。じっと見守るのみ。

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前世紀の悪夢

 イラク戦争にはそもそも大義などないと思っているが、少なくとも米英軍がサダム=フセイン政権を打倒した1年前に、ブッシュがイラク復興を全面的に国連に託していたら、きっとイラクは現在のような状態にはならなかっただろう。そして多くの人々はブッシュ大統領を解放者として称えただろう。しかしあの浅薄な国家元首はその浅薄さゆえに、石油利権にこだわるあまりその機会を永遠に失ってしまったようだね。
 同様にイスラエルのシャロン首相との会談ではイスラエルの主張を丸呑み。パレスチナ問題の解決やテロの防止より何より再選戦略を優先し、ユダヤロビーの資金と集票に期待したわけだ。
 俺はブッシュが落選する日を心から望む。そしていつか戦犯としてミロシェビッチやサダム=フセインのように、ビン=ラディンと一緒に裁かれる・・・。

 イラクの3人の人質はやっと解放された。ご家族の気持ちを考えると本当によかったと思うよ。でも、ほとんど同様の手口で誘拐されたイタリア人の人質は射殺されてしまったし、2人の日本人があらたに誘拐されたとも伝えられている。なんともやりきれない状況が続く。
 アメリカ軍のファルージャ攻撃はアメリカ人が惨殺されたことへの報復だといわれているが、700人以上の市民が犠牲になったというのだから、アメリカ政府の考える人命の価値というものがわかろうというものだ。自国や同盟国の国民の命に比べれば、イラクやアフガンの人々の命は虫けら扱いだ。口先ではともかく、人の命なんてこれっぽっちも考慮されちゃいない。

 BS1で見たアルジャジーラの映像では、ファルージャのある場所に無数の墓標が立っていた、今回の攻撃で死んだ人々を埋葬したのだという。前世紀の悪夢を思い出さずにはいられなかったよ。

 この事件では、さまざまな意見が国民の中にあったようだ。自衛隊の撤退を要求する意見。人質の身は案じつつも、自衛隊は撤退すべきでないという意見。この時期のイラク入りは無謀だと人質を非難する声。中には事件そのものが人質の「自作自演」だという声すらあった。

 人質の家族のもとに激励のメールとともに、人質を中傷するメールや電話も届いたという。どんな顔した奴がそのようなメールを出すのか想像してみる。連中は今回の事件で心を痛めてないのだろうか。そもそも非難されるべきは人質なのか。

 利潤とか国益とかに価値を認めないで人間の命のほうが大事だと考える人はいたっていい。自分の命をなげうってイラクの人々を助けようとする人々がいてもおかしくはない。非難されるべきは誘拐犯やテロリストであり、自国の利益のためにこの事態を招いた大国の指導者であって、断じて彼ら人質ではない。「自己責任」などと声高にいう連中は、こいつらの「自己責任」には触れもしない。

 すべての人質の無事解放を心から望む。

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2004.04.11

TM○J九州カートOFF開催

 10日は俺が幹事をつとめるT○CJ九州カートOFFの日。朝から寝不足気味で会場へ出かけねばならなかった。イラクの人質事件のニュースで徹夜してしまったのが響いた。でも今回は幹事だから誰よりも早く着いとかなきゃね。

 OFF会そのものは本当によい天気でよかった、というか、よい天気すぎて参った。今日はほとんど初夏を思わせるような陽気で、日焼けした顔がひりひりする。久々にMR2乗りの仲間と顔を合わせたんで楽しかったし、新たな仲間もできたのはなによりの収穫だったと思う。職場の同僚も参加してくれたし、ほんと一日楽しく過ごせた。
 問題のカートだが、おのれのドライビングテクニックの不足と、総重量を思い知らされてちょっとショックだったけれど、ほんと楽しめてよかった。

 家に帰ってきて、疲れのあまり数時間眠る。結局こんな朝方に起きてきてしまった。起きてまた思い出されるのは、イラクの3人。休日を楽しんだことへのほんのわずか悔恨の念もわいてきた。


※ 前回の記事で、「神を信じない」と書いたことについて

 イラクの人質事件で憤りのあまりトラックバックを乱発してしまったせいか、やや誤解を生じてしまったようです。あれは特定のひとのblogの文章に反応したのではないので誤解しないでください。俺自身の思想上の問題であって、他の方の信仰や神の存在への確信を冒涜するつもりはありません。ただずっと昔から俺は神というものが信じられないのは事実です。良心を偽ることはできないので無礼をお許しください。

 宗教や神については、このblogではなくて、個人Webページへいろいろ文章を載せていますので、よろしかったらお読みください。

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2004.04.09

バベルの塔

 イラクで日本人の人質事件が発生した。今日はこのニュースを見ていて吐き気がしてきた。これは誰もがいつか起きるのではないかと恐れていたことなのだ。
 今回人質になった方々は、イラクの真実を伝えようとしたジャーナリストや、復興にとりくんできた人たちである。彼らの命を政治的目的の駆け引きに使うテロリストはいかなることがあっても許されるものじゃない。
 しかし、自衛隊が行ったから、彼らの活動が阻害され、こういうことに巻き込まれる結果になったのもまた事実。重火器をもっていっていながら「我々はイラクの復興と人道支援のために来た」といったのでは、実際の活動はともかく、見た目には不遜なあの国とかわりはない。

 彼らにもしものことがあったら、政府はどう対応するのだろうか。

 NHK総合では深夜の番組がすべてカットになってしまって、「名曲アルバム選」とか「名画への旅」とかで、時々入ってくるこの関連のニュースをつないでいる。「名画への旅」の中で、 ウィーン美術史美術館にあるブリューゲル「バベルの塔」を紹介していた。旧約聖書に出てくるバベルの塔の物語を描いた絵だ。天まで届く塔をたてようとする人間の不遜な行為に神が怒って人々の言葉に不都合を与え、塔の建設を不可能にしたという。バベルの塔があったとされるのはバビロン、今のイラク。

 テレビを通してこの絵を見ながらいろいろなことを考えた。この物語においては神がいちばん不遜なんじゃないのか。人間の英知と努力をなんだと思っているのだ。
 そもそも人間が神の創造物なんじゃなくて、神が人間の想像の産物だよ。人間が宇宙に出て行ったらどっかにコソコソと隠れてしまった神などに俺は興味はない。今世紀中に実現するのかどうかは知らないが、本当に天まで届く軌道エレベータなんてものの工事が始まったら、きっとこの絵のような風景が現実になるのだろう。考えただけでもわくわくするね。

 不遜なのは、神の名をかたり正義をかたる不正義。ブッシュもテロリストどもも狂信者であることにかわりはない。この世にほんとに神がいるのなら、バビロニアで行われる数々の悪虐に天罰を下してみろ。まして神の名において人が傷つき殺されるのなら、俺は神を呪う。

 俺は神を信じない。絶対に信じられない。ほんとにそうなんだから仕方ないよ。

※参考サイト「Arts at Dorian」

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2004.04.06

阪神3連勝!

 阪神が巨人に3連勝。タイガースはほんと期待以上のできだった。選手がみんな逞しくなったね。飲み会と仕事で日曜以外はテレビ放送見られなかったけど、あまり心配せずにすんだよ。岡田監督ありがとう!

 それにしても巨人。去年の原監督と今年の堀内監督では能力の違いはあきらかだね。原は敵将ながらなかなかの知将だった。ミスターもできなかった一年目に優勝を果たしたし、退任のときの星野監督との抱擁は泣かせるほど美しかったと思う。それにくらべ堀内監督はまったくつまらん。

 まあ、あの球団のことだから、このまま負けこんだりしたら、5月ごろには「監督休養」なんて発表になったりしてね。

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出羽桜を冷酒で

 3日はわが職場(予備校)の、大学入試クラス(要するに浪人ね)の入校式があった。なんと今回は俺が司会を務めねばならず、結構緊張した。こんなに緊張したのは学生時代の学友会役員選挙以来だが、年月を経てすっかり図太くなっているのでまあなんとかなった。
 その晩は久々に職場の飲み会で、お気に入りの日本酒(出羽桜)を冷酒で飲った。やっぱりうまかった。だが胃がびっくりしたようで、そのあとしばらく腹具合がおかしかった。
 その後は久しぶりのカラオケ。みんな歌って騒ぎたかったみたいで、ほんと元気になった。
俺が歌ったのはポルノグラフィティ、ユニコーン、Spitz、米米CLUBなどなど。そういえばSくんが一緒にThe Beatlesの"Revolution"を歌おうというのでつきあって歌った。彼には去年のいつだったか、俺のほうから無理やりSex Pistolsの"Anarchy In The UK"を歌わせたことがあるので、ここは従うほかない。カラオケでは歌うのははじめてだったんだけど、なんてことなく歌えたりするからThe Beatlesはあなどれない。俺なんかたぶん小学生のころから刷り込まれてるにちがいない。
 どうせ洋楽歌うなら今はやりにのQueenあたりにすればよかったかな。でも俺が歌っても、ハヤリモノに聴こえるどころか、リアルタイムで聴いた世代がナツメロ歌ってるようにしか見えないね。
 今回の飲み会は5時からと早く始まったけど、結構飲んじまったので、カラオケに行く前の7時ごろには飲むのをやめた。当然だが酒が抜けるまで運転禁止。朝からバドミントンがあるので、職場の駐車場で朝まで眠るつもりが、寒くて12時すぎに起きてしまった。それからコンビニでトマトジュース飲んで、職場の事務所にひとり戻り、2時ごろまで寝て帰宅。7時間たてばもう酒気帯びじゃなかろうて。

 翌4日のバドミントン。本来は土曜だが昨日が入校式だったので今週は日曜だ。今回は7人が参加。やっぱ前の晩家で寝てよかった。飲み会翌日にもかかわらず、体調もよく気持ちよくプレイできた。来週は残念ながら出られないけれど、やっぱいいわバドミントン。

 家に帰ってから、俺が世界一と信じてやまない「一龍」のラーメンを出前でとって堪能し気合をいれて、メインPCを自作機からVAIO改にもどす作業に専念。HDDが逝っちまう前にメールデータその他なんとか移し終えた。このVAIO、CPUはいまや平凡な1GHzにすぎないが、メモリは512MB積んである。K6-2+550MHz&256MBよりはちょっとだけ速いだろう。だが一番速さを感じたのはやはりハードディスクで、自作機のやつはもう壊れかけで遅かったからスゲー速く感じるよ。

 で、5日は今年度初の中学生の授業。なだめすかしほめそやし笑わせてやる気を出させる。ああ疲れる。だがまあうまくいったかな。

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