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2004.04.24

ソラリス再び

 タルコフスキーの「惑星ソラリス」のDVDを買ってしまったことは以前書いたけど、このところまるでBGVのように繰り返し流してる。じっと見ているわけじゃないが、あの独特の音響と時おり流れるJ.S.バッハのオルガン曲が心地よい。
(原曲はコラール「我、汝に呼びかく、主イエス・キリストよ」)

 大バッハの曲が流れるSF映画には、カート=ヴォネガットJr.原作、ジョージ=ロイ=ヒル監督の「スローターハウス5」がある(こちらはグールドの弾くピアノだ)。バッハの楽曲がもつ内省的な響きは、ある意味SFのもつ思弁的な側面にぴったりだ。自分としては「自我の目覚め」の時期だったと思う中学生のころ、バッハの音楽に出会い、さらにSFというものにも出会って世界がひっくり返るほどの衝撃を受けたので思い出深いよ。

solaris2 そのころスタニスワフ=レムの原作小説は読んでおり、すでに大好きな作品のひとつとなっていた。しかし、タルコフスキーの映画は名作として知られており憧れていたものの、実際に接することはできなかった。当時、ソ連の映画のビデオなどそうそう出回っていなかったし、第一中学生にそんなものを買うお金はなかった。映画のビデオはそのころの俺にとってうんと高いものだったのだ。
 大学生のとき、ようやくビデオを入手してみたタルコフスキーの映画は、独特のノスタルジックな映像にはじめ違和感もあった。おかげで原作の緻密さは感じられずむしろやや冗長に感じられたが、これは監督の趣味だったようで、後になって「ノスタルジア」とか「サクリファイス」でも語られたイメージだとわかった。
 彼の映画とそのスタイルは独特の個性をもっている。初期のいくつか作品を見るうちに好きになっていった。とくに「僕の村は戦場たった」はモノクロだが衝撃的だ。一方で、晩年の作品に目立った「惑星ソラリス」とも共通するソ連の映像作家らしからぬ一連の宗教的で美しいイメージにはついていけないところもあり、やや困惑したことも事実だ。まあ、だからこそ彼は亡命を余儀なくされたのだろう。

solaris4  プロローグ(というには長すぎるね)の地球上のシーンは、彼の独特の詩情を組み込んで原作の説明的な部分を映像的に消化しようとしたのだろう。原作では主人公がソラリスステーションの図書室にこもってソラリス研究について長々と調べる場面があるが、これはとても映像化になじまない。ただ現在映像化するなら、バートンの報告を主人公が図書室で映像資料としてみるだけでもいいのではないかと思う。
 映画は、原作を読んでから見た「2001年宇宙の旅」と同様に、原作への一種のイラストレーションの役割を果たしてくれた。もはや小説を読み返すとき、アタマに蘇るイメージはタルコフスキーの映画のそれだ。ケルヴィンはドナータス=バニオニスでなければならず、クリスはあの美しいナタリア=ボンダルチュク以外考えられない。スナウトやサルトリウスもあのロシアの渋い俳優たちでなければならないのだ。

 原作と映画には微妙にテーマのずれがあることはわかっている。レムのいう「異星の未知の知性体との出会い」よりも、タルコフスキーは「故郷や肉親への郷愁」のほうに関心があったのだろう。映画についての有名なレムとタルコフスキーの対立はそこにあったのに違いない。小説と映像では表現できるものが違うからある意味それは当然だ。「2001年」にだってクラークの小説とクーブリック映画ではの解釈に違いがある。レムやクラークはあくまでSF作家だが、タルコフスキーやクーブリックはあくまでも映像作家だからね。

 レムについては、科学者でハードSF作家でもあり、自身SFファンの権化のような石原藤夫氏が「『ソラリス』の主人公は科学者なら最低限やるであろう実験も行わないで、ただ悩んだりしている。理系からみれば理解に苦しむ。レムはあくまで文科系のSF作家だ」というようなことを書いていたが、同じく文系の俺はレムの魅力はむしろそこにあると思うわけだ。そしてタルコフスキーもまた文系人間の典型だろう。

 俺が科学者だったとしたら、科学のため、研究のために恋人の姿をしたものをばらばらにして研究できるだろうか。もしそうなら、科学者にならなくてよかったかもしれない。いや、なれはしない。レム以上に文系人間である俺は、科学的思考に憧れながらも、レムやタルコフスキーの悩み多き主人公に強くシンパシーを覚えてしまう。

 こうなったら、ソダーバーグのほうも見なけりゃね。

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