ケプラーの「夢」
瀬戸智子さんが「瀬戸智子の枕草子」でガリレオについてお書きになった「それでも地球は回っている」に触発され、俺が心ひそかにその生涯に惹かれているドイツの天文学者ヨハネス=ケプラー(1571~1630)について書こうと思う。
惑星運行の法則で有名なヨハネス=ケプラーは、魔術と科学的知識がないまぜになった一種のSF小説を書いている。その名も「夢」(Somnium,1634)という作品だ。
主人公ドゥラコトスは、精霊と話のできる母の誘いで月世界(レヴァニア)に旅する。月面が山や谷やくぼ地(クレーター)がたくさんあるところだと書き、当時ガリレオが望遠鏡で発見したばかりの最新知識を紹介している。最後は表題どおり「夢だった」で終わる。現代のSF小説ならありえない夢オチも、当時ではやむを得ないものだったのだろう。
また主人公の母が不思議な力を持つ魔女であったり、主人公がティコ=ブラーエの天文台を訪ねていることなど、明らかに自伝的な要素もある。
ケプラーの母カタリーナは、薬草など、当時の人々から見れば怪しいものを売って生計を立てていたいたそうで、そのために魔女の疑いをかけられた。また、この小説も母親に対する魔女容疑の根拠のひとつに挙げられた。ケプラーは科学者として母を弁護し、魔女の疑いを晴らしたという。当時の魔女裁判は、裁判とは名ばかりで、有罪として財産を没収するのが目的の裁判だ、これが本当なら大したものだ。
ケプラーが天体について研究したのは、もともと占星術を学ぶためだったとか。現代に生きる俺は、個人的には占星術なぞ現代では「エセ科学」の代表的なものだと思っているが、当時、科学と非科学の境は、今ほどはっきりしてはいなかったと思う。宗教紛争に明け暮れていた当時の社会的状況が、人々の認識を強く拘束していたはずだ。マルクス風に言うと「存在」が「認識」を規定していたわけだ。
ケプラーの言葉
「幾何学は天地創造の前からあった。それは神の御心とともに永遠である。・・・・幾何学は、神に天地創造の手本を示した。・・・・幾何学は神それ自身である。」
科学的思考とは、「動機」ではなくその「思考」そのものにあるのではないだろうか。当時の人々にとって、当時最新の技術であった望遠鏡によって観測されるさまざまな物理法則の神秘は、当時の人々にとっては神の存在を否定するものではなく、むしろ神の偉大さや完全性を感じさせるものだったに違いない。だからといって彼らの偉業が、科学の歴史の中で輝きを失うことは決してない。
カール=セーガンは、失われてしまったケプラーの墓碑銘のかわりに、次のような言葉を贈っている
「彼は、幻想も強く愛したが、もっと強く確実な真理を愛した」
※参考
伊藤典夫編:「世界のSF文学」(自由国民社)
カール=セーガン著、木村繁訳「COSMOS」(朝日新聞社)
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コメント
こんにちは。
とても素敵な内容に思わず「読み惚れ(?)」ました。
ケプラーがSFを書いているということは知らなかったので、
今度、機会を見つけて読んで見ます。
「存在が認識を規定していく」ということはよく分かります。
自然科学の始まりは「実験、観察」からでした。
対象に対するきめ細やかな感動がその原動力でもあったのでしょうね。
真理へのやむ事なき情熱は、同時に人間に対する限りない「渇望」でもあったというケプラー。
ちょっと気になりますね、、、
今度、絶対、読んでみよう〜〜
また、教えてくださいね。
投稿: せとともこ | 2004.04.26 11:48