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2004.05.24

正義という名の不正義

 ベルリンの壁が崩壊し、マルタ島での会談で米ソ首脳が冷戦の終結を宣言した十数年前のこと。友人と「冷戦が終了したら、アメリカは火星人でも仮想敵国にしなけりゃ軍備拡張できないんじゃないの。」などと冗談を言い笑っていた。以前から国防総省は、軍事機密の保持のためか、いわゆるUFOの目撃情報に関して否定も肯定もしなかったことで、それを信じる人々を喜ばせていたのだが、ソ連が自壊に追いこまれてしまった以上、アメリカの敵はもはや宇宙人しかいないんじゃないか、というのがこのジョークの要だった。

 だから、映画「インディペンデンス・デイ」で、大統領を先頭にアメリカ軍が宇宙人と戦い、「アメリカの独立記念日にアメリカ合衆国大統領が地球を救う」という話を見たときは、開いた口がふさがらなかった。この国は相当おめでたい国だ、と心底思ったものだ。「自由と民主主義の国アメリカ」という幻想を今も疑うことなく信している多くのアメリカ国民にとって、彼らの「正義」は宇宙の「正義」であるのに違いない。

 しかし、アメリカ合衆国という国家が世界史の中でどのような価値と役割をもつのかということは、後世の史家の評価を待たなくてはならないのかも知れないが、ひところもてはやされた「グローバル化」が、政治や経済や社会がアメリカナイズすることすなわちグローバル・スタンダードだというのなら、それはもはや悪い冗談でしかない。

 かつてアメリカはソ連を「悪の帝国」として恐れ、敵愾心をあおり、巨大な軍産複合体をつくりあげてきた。しかし、そのソ連は「悪の帝国」にしてはあまりにあっけなく崩壊してしまった。社会主義の掲げる平等の理想とは程遠い、非民主主義体制と官僚主義、中央集権的指令経済のはびこった挙句の自壊であると思うが、アメリカはそれを、「社会主義に対する資本主義の勝利」と自賛した。ソ連型「社会主義」という「悪」が滅びたのち、アメリカ合衆国とその圧倒的に巨大な軍事力は、国民の自尊心を刺激し、巨大な軍産複合体を維持していくため、新たな「悪の帝国」を求めて彷徨ってきた。誰が頼んだというわけでもないのに「正義の味方」を自認して。

 アメリカ合衆国という国にとって、新たな「悪」という概念はいったい何なのだろう。「イスラム原理主義」あるいは「主体思想」なのだろうか。湾岸戦争やイラク戦争で対峙したフセインのイラクは、「悪の帝国」というには笑わせるほどの戦力しかもっていなかった。アメリカは勝利し、正義は守られたはずだった、ミロシェビッチの率いたユーゴははたして「悪の帝国」だったのだろうか。いや現在の北朝鮮こそ「悪の帝国」であるのか。実際のところ、それは偏狭な民族主義国家であったし、前時代的な独裁国家であるのかもしれないが、アメリカという軍事超大国を脅かすような「悪の帝国」ではありえないだろう。

 最近、そのDVDが他の作品と抱き合わせで廉売されている「インディペンデンス・デイ」に話を戻すと、過去の優れたSF映画への製作者のオマージュが作品中にちりばめられているのだが、それがまるで悪い冗談のように感じられて好きになれない。不謹慎といわれるかもしれないが、あの映画で唯一気に入っているシーンといえば、異星人の攻撃を受けホワイトハウスが吹き飛ぶシーンだけである。

 正義は、それを正義だと信じていないものに押しつけられるとき、不正義すなわち悪となる。

※個人Webよりblog用に改変して転載。

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