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2004.05.11

悪夢のパックス=アメリカーナ

 思えば 2001年9月11日、同時多発テロのニュースを聞いたとき、これから世界は確実に悪い方向に行くという思いでやりきれなかったのを覚えている。しかしアメリカで起こったこの悲劇は、大きな悲劇の連鎖のほんの始まりに過ぎなかった。テロ撲滅を口実としたアフガニスタン戦争とその後のイラク戦争。あの同時多発テロ以来、どれほど多くの人々が無為に死ななければならなかっただろうか。

 マスコミで、アメリカを古典的な意味で「帝国主義」とよぶ論調が復活して久しい。毎日新聞などは「アメリカ民主帝国」という興味深いコラムを長く連載していた。
 しかしながら、レーニンの定義した「帝国主義」そのままのえげつない帝国主義が、この21世紀に化けて出るなどとは思いもしなかった。冷戦に勝利したと豪語したアメリカは、正義の味方を気取るなら、もう少し外見に気を遣い、慎重にことを進めるしたたかさを身に付けるのではないかと思っていた。

 共和党政権が大企業の代弁者なのは周知の事実である。ブッシュ政権は、「国益に反する」という理由で、世界一の温暖化ガス排出国でありながら京都議定書批准を拒否した。この国家のいう「国益」は、合衆国国民の利益ではなく、アメリカ合衆国の「軍産複合体」の利益である。ブッシュ政権の4年間は、まさに新保守主義者独裁の4年間だった。連中にとってわずか4年という期間はまったく十分ではないようだ。

                ※                  ※

「そこでローマは、自らの戦争の正当性を擁護する論理をつぎつぎと考えだした。ローマにとって危険な外敵の脅威をのぞくため、ローマの同盟者や友邦との信義のため、彼らの保護のため、彼らの自由のため、等々。つまり脅威を除去するための戦争は正義の戦争であり、信義のために起こした正義の戦争によってうちたてられる支配は正当である、というわけである。
 これらは口実にすぎなかったが、かりに口実以上の真実であったとしても、外敵が脅威である以上にローマ自身が周囲にとって脅威的存在であった。ローマの支配はまもなく周囲の民族にとって絶対的な脅威となり、脅威の除去という戦争の正当性はまったく失われていった。」

 これは現在広く使われている高校世界史の教科書、「新世界史・改訂版」(山川出版社)の一節。この文章は非常に示唆に富んでいる。「ローマ」の部分を「アメリカ」に差し替えてみれば、そのまま現在の世界にもあてはまることに気付く。 よくいわれることだが、退廃と奢侈のなかで滅びていったあの古代の巨大帝国と、幾世紀も時を隔てた現在のあの大国はなんとも相似形だ。

 そしてなおもこう続く。

「ローマの平和は、強力な一国支配が力でつくりだしたものであった。ローマが、いかに外敵の脅威をさけび、条約違反の制裁を主張し、友邦への信義や自由と解放を戦争の理由としてあげても、それは突出した力による武力制圧であることに変わりはなかった。」

 「国益」の実現のためには、地球環境も、国際協調も、尊い人命もおかまいなしというような政権は、この地球のためにも、今年限りでおしまいになると信じたい。

※個人Web掲載の複数の文章をまとめて改稿。

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