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2004.06.22

触らせるメッセージ

 文学には非常に関心があるわりに、いまだ不勉強なため、俺の無知をわかったうえでこの文章を読んでね。

 記号としての文字や言語表現が発達してきたのは、数百万年前、一時的に群れから離れ、ちょっとした冒険をしてきたヒトザルが、論理的に読者(聞き手)である群れの仲間に向かって、外の世界で見聞してきたものを伝達したのがはじまりだと聞いたことがある。いわば「解らせるメッセージ」とでも言うほかない機能を中心に強化・発展してきたんじゃないかな。
 その一方で、「触らせるメッセージ」ともいうべき、論理的表現になじまない詩的・感覚的表現も、また確実に進歩してきた。クロマニヨン人は、語りつくせぬ驚異や恐怖、希望を、洞穴の壁に描いた。「言語によらない知」は、絵や彫刻といったイメージ、あるいは言語の原初的意味を超えた比喩によってもたらされた。

 古来、洋の東西を問わず、詩は多くの人に愛されてきた最も代表的な「触らせるメッセージ」だ。俺も高校のころアルチュール・ランボーに傾倒し、理想的な人生がおくれたら30代で死んでもいいと思ったよ。今となってはちょっと恥ずかしいけど。

 時代や洋の東西を問わず、最も多くの人に愛されてきた「触らせるメッセージ」は詩だ。宗教や呪術と科学の区別がつかなかった時代は非常に長く続いた。この二つの側面は、言語によるコミュニケーションの発達の歴史の中では、ごく近代にいたるまでははっきり区別されていなかった、あるいは区別の必要を求められなかったんじゃないかな。それを近代イギリスの詩人であり、優れた批評家でもあったT.S.エリオットは、詩とは「思想の情緒的等価物」であるとし、哲学を「思想の論理的等価物」としてそれと対置し、峻別したという。
(なんてことは高校時代の現代国語の教科書で読んだだけだが)

 俺はこのblogでエッセイストをきどっているのか、哲学者のようにになりたいのか、それとも詩人のまねごとをしたいのか、今は自分でもよくわかっていない。

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あなたの別れた奥さんが呼んでいたように イシさんとあなたを呼んでもいいかな 肩書 [続きを読む]

受信: 2004.06.24 01:18

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