« やや脱水気味 | トップページ | Bridge Over Troubled Water »

2004.07.05

弁証法的に学ぶ

 せとともこさんが書かれていた「人はなぜ勉強するの?」という問いについて、すこし考えてみた。俺もやっぱり高校生のときは、文学や歴史なんかよりおのれの恋愛のほうがよっぽど大事だった。せとさんが書かれていらっしゃるとおり、中学高校の勉強が大学での専門学問の土壌をつくるということは、大学に入ってその学問の面白さを知ってからやっとわかることなんだよね。中高生にわかりやすく説明することはなかなか難しい。

 30代なかばとなり、限られた時間というものの大切さを思い知らされた今も、職場で10代の中高生といつも接しているから、知識や学問、そして思索によって、俺自身、いつまでも成長するはずだという幻想を抱いている。まあ気楽な独身生活ゆえかもしれないけど。

 思えば10代は、詩や歌にもうたわれる月並みな表現なのだが、人生の中で特に素敵な時期だろう。好きなことに耽溺しつつも、いろいろなことを学ぶことが許されるし、考えることもできる。本人が自覚的でなくとも、個人の考えというようなものは、この時期なんとなく創りあげてられていくものだ。

 本を読んで多くの先人の思想に触れる。それで「わが意を得たり」と興奮することもあるだろうし、「これはおかしい」と、自分なりに情緒的、あるいは論理的に批評しようと試みることもあるだろう。人間として生きていく上で、他人の意見に共鳴できることはとても嬉しいことだし、道理に合わないことや非合理的なことに疑問をもつのもまた当然のことだろう。
 もちろん読書を多くこなしたからといって、この時期の迷いや悩みがキレイさっぱり解消してくれるということなどあるわけがない。場合によってはむしろ悩みは思索によって深化あるいは増幅されるかもしれない。しかし、しばらく時間がたったらどうでもよくなるような相違点や対立というものがあることもまた確かなことだ。人生経験が豊富とはとてもいえない俺が言うのもなんだが、この時期に悩むことや迷うことは絶対に無駄ではないと思う。ものごとを学ぶにあたってのスタンスがあるとすれば、「弁証法的に学ぼう」と言っておこう。

 俺が大学生のときは、ヒマだったが金もまたなかった。部屋で何もしていないときなど、天井の木目を見ながら、自分の人生や社会についてあれこれと物思いに耽ることができた。当時は無限の空虚に感じられた時間だったが、もしかしたら人生の中でも唯一無二の悦楽だったのかもしれない。そしてあの日の思索や、友人たちとの議論が今の俺の人格の一部をつくっているのもまた確かだ。俺の友人に「大学生がヒマで思索に耽ることは一種の義務だ」といった奴がいるが、そんな日々がじつは尊いものだったことは、日々の暮らしに追われる日々の中で、俺も本当に実感する。いくら仕事がきつくとも、仕事から帰って、酒飲んで風呂に入ったらあとは寝るだけという生活は拒否したい。10代のときのようにはいかなくとも、どんなことでももう少し考えたいし、悩んでみたい。この世界を理解し、できることならそれを好ましいと思われる方向に変えていきたいと思う。
 世界中の様々な芸術や思想、科学を学び、豊かな知性と人間性を身に付けた人間。俺が人生の終わりまでにそこに到ることができなくったって、俺の教える生徒や学生たちには、時間があるうちに少しでも近づいてもらいたいと思っている。

|

« やや脱水気味 | トップページ | Bridge Over Troubled Water »

コメント

僕は、中学や高校の頃の数学のことを振り返ってみると、これが専門の基礎になったとはとても思えないので、当時は腹が立ったこともありました。専門的な数学を勉強するには、高校まで勉強した数学がかえって邪魔になったというふうに感じていました。

どうして、こんな役にも立たない数学を高校までは教えていたのだろうと思います。日本の学校教育は、まるで数学の理解を阻害するのが目的なんじゃないかと思ったくらいです。

今でも、学校教育を否定的にとらえるところから、本当の学問的な勉強が始まるんじゃないかな、なんて感じています。大学と言うところは、教科書への疑問を教え、自ら学ぶ道を教えるのが本来の役割だと思うのですが、最近は、とても素直に学習する大学生が多いそうですね。学問というものが大学から失われているんじゃないかと感じたりしています。

投稿: | 2004.07.05 10:58

こんばんは。(^。^)思い返すと、大学時代は実に贅沢に時間を使いました。高校時代までは、勉強と言っても極論すれば単なる受験対策などに追われただけでした。主体的に物事を考えるという姿勢と習性を身に付けたのは大学でその後の人生に大きく影響を与えられることとなる恩師に出会ってからでした。大学時代の自由に使える時間と一見無駄に見えるボーとした時間がその後自分の生き方に大きく影響しています。人生は主体的に生きてこそ楽しい。でも苦しいけど。でも楽しい。

投稿: 闘うリベラル | 2004.07.05 22:03

私は高校を中退しています。
友人が大学を卒業した頃。
酒も女も博打もとりあえず卒業しました。

今は読書が至福の時間です。
最近は女にうつつを抜かしてますが、
恋愛は私に何かを与えてくれる。

投稿: mossarin | 2004.07.12 07:45

>秀さん

>>学校教育を否定的にとらえるところから、本当の学問的な勉強
>>が始まるんじゃないかな、なんて感じています。

 そういう部分もあるかもしれませんね。学校教育には、批判的にものごとをとらえることは要求していないようなところがあるかもしれません。政治的なものにしろ、学問上の権威にしろ、上のものには従ったほうがいいというような・・・。
 そういう世渡りは、社会に出てからいやというように体験するわけですが・・・。

>mossarinさん

>>私は高校を中退しています。
>>友人が大学を卒業した頃。
>>酒も女も博打もとりあえず卒業しました。

 ご苦労なさったようですね。私は高校、大学を出ても、なにも卒業できた気がしないうちに、未熟者の焦りをもったままこの年齢になってしまいましたね。

>>恋愛は私に何かを与えてくれる。

 私もほんとにそう思います。最近はご無沙汰気味ですけど・・・。だから、身を焦がすとまた同じ間違いを犯してしまいそうです。

投稿: Rough Tone | 2004.07.24 19:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19737/903530

この記事へのトラックバック一覧です: 弁証法的に学ぶ:

» 人はなぜ勉強するの? [瀬戸智子の枕草子]
いつも訪問しているmazra先生の日記 は、専門教科の数学のことや、クラブのこと [続きを読む]

受信: 2004.07.05 11:17

« やや脱水気味 | トップページ | Bridge Over Troubled Water »