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2004.12.21

抗議して生き残れ

 政府が12月14日に発表した「有事の際の国民保護指針」は、生物・化学兵器による攻撃や核兵器による攻撃を受けたときには「風下方向を避け、皮膚の露出を抑えるための手袋、帽子、ゴーグル、雨ガッパなどを着用する」などの留意点を記している。
「有事の際の国民保護指針」は首相官邸のページよりPDFファイルで入手できる。
(それにしてもなぜPDFのみなのか)

 核戦争になっても生き残れる人がどれほどいるというのだろう。自分たちだけは生き残れると信じているから、国家の指導者は手段としての戦争を容認するのだろう。

 大学時代、先輩に譲り受けた本に「核攻撃に生き残れるか 抗議して生き残れ PROTEST AND SURVIVE」(E.P.トンプソン他著 山下史他訳)がある。この本のタイトルは、英国中央情報局が作成した核攻撃に備えたマニュアル「防護して生き残れ PROTECT AND SURVIVE」のパロディになっている。面白いのは、この本は両開きになっていて、後ろからめくればこちらを読むことができる趣向であることだ。

two_tribes このパンフレットの題名は知らなくとも、80年代の洋楽が好きな人で、Frankie Goes To Holywoodの"Two Tribes"を聴いたことがある人なら、これがどういうものかわかるだろう。この曲の冒頭に出てくるのはイギリス政府の核攻撃警報である。さらに途中に出てくるフォールアウトに関するナレーションはこのパンフの「フォールアウト警報」についての説明の朗読なのだ。ちなみにフォールアウトというのは、放射性降下物のことで、いわゆる死の灰だ。
 核攻撃に生き残る? 広島や長崎の原爆でさえあれほどの被害を出したというのに、冷戦のなかはるかに進化した核兵器による攻撃は、そんなに生易しいものではない。やはり戦勝国は核兵器による被害の悲惨さを本当には意味で知らないなと思ったのを覚えている。

「核攻撃があったとき」のことを想像して備えることより、「核兵器のない世界」をつくることの必要を訴えたものだ。冷戦が終結し、全面核戦争の危機は当面は遠のいたかもしれない。しかし、大国のエゴを原因とする各地の紛争はいまだ絶えず、核兵器は明らかに拡散の傾向にある。この本はもう20年以上も前に出版されたもの。しかし我々はこの言葉が今もなお意味を持つ世界に生きている。

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Linux移行計画

さて、MSの呪縛を免れるためのLinux移行計画だが、今はまだLinuxというか、UNIXなるものへの理解と基礎的なスキルを身につけることに専念している。今はまだ、ソースからのmakeに失敗したり、フリー版cannaの日本語変換にてこずったりしている。

VineLinux3.1をデスクトップとして使うからには、日常的なWebのチェックやblog書きなどはすべてこっちでやるぞというつもりで環境をととのえたいところ。
そういえば、Skypeにも手を出してみようと思いつつどうも手を出せずにいたんだけど、これもLinux環境でセットアップしてみようと思う。こんなソフトをROMに焼き込んで、お年寄にも使いやすいようにしたハードが登場したら、遠方の知合いには誰も固定電話なんて使わなくなるだろうなあ。

ジャンクPCの調達でなにかと御世話になってきたKHCのYukiponyさんに久しぶりにネット上で出会った。この方はコンピュータ関連の会社の社長さんで、俺の尊敬するLinux遣いで、愛犬家で、ギター弾きだ。

最近、家ではWindowsマシンと起動する比率が逆転してきた。もちろん仕事のファイルはそっちに入っているし、マルチメディア関連は俺のスキルではまだ移行できないでいる。でも音楽CDを再生すると、Linuxマシンと仕事用Windowsマシンはおんなじi810内蔵サウンドであるはずなんだけど、あきらかにLinuxのほうが音がよくてノイズも少ない。これでシーケンサなどの音楽ソフトが充実してたら音楽製作用PCにもなるだろうなぁ。

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2004.12.13

死に行く捨て駒

 大河ドラマ「新選組!」が終わった。脚本の三谷幸喜さんが昨年末の予告編かなにかで「絶対面白いですから見てください」みたいなことを言っていたので、「ほんじゃ見てやろうじゃないの」という感じでこの一年ずっと見てきた。
 実際のところ、新撰組に思い入れのない俺が見ててもホント面白かったよ。三谷さんにしてやられたという感じ。以前も書いたけど、登場人物が多いのでわかりにくくなりがちな大河にあって、この作品はキャラが立っていたため飽きなかった。キャストも生き生きと演じていて魅力的だった。三谷さんは様々な立場にあったひとりひとりの人間を可能な限り人間として魅力的に描こうとしたんだろう。

愛しき友は何処に
この身は露と消えても
忘れはせぬ 熱き思い
誠の旗に集いし 遠い日を
あの旗に託した 夢を

大河には珍しく、脚本家による歌詞がついていた服部隆之作曲のテーマ曲。
その歌詞は物語の終盤になってようやくリアリティをもつようになっていった。

 斬首される勇が、ふと目に入った小川のあまがえるやメダカ、空を飛ぶつばめたちをなんともいえない表情で見やるシーンがあった。まるでタルコフスキーの映画を見ているよう。涙が出そうだった。

 この国がこういう時代だったのは、なにも勇たちのいた1世紀以上の昔じゃない。つい数十年前にも前途ある若い命が時代に巻き込まれ死んでいった。イラクにいる自衛隊はあの時代の勇たちのように、死に行くべき捨て駒なのか。派遣延長は閣議決定されたが、ドラマの中で勇たちを死地に赴かせることになった勝海舟が抱いていたような心の痛みは、はたして小泉首相にあっただろうか。

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罪の意識

 長くつきあっているクルマがエンジン移植を行うことになった。ウォーターポンプが壊れ、水がまわらなくなってオーバーヒートしたのが原因。
 エンジンブロック交換はじつはこれで2度目。なにせ20年前のクルマ。若いころ無茶な運転をしていたうえ、長年にわたって通勤からサーキット走行まで一台でこなしてきたおかげで思いきり過走行である。

hiruzen

※この写真は何年か前の某クルマ好きの蒜山高原での集まり。
 あいにくの天気だったけど楽しかったね。


 今年はじめに修理した足回りの修理代50万円に加え、今回の出費はおよそ40万円。昨年の車検費用もいれるとけっこういいクルマが買えそうなんだけど、どうも替える気にならない。同僚曰く「ほとんど愛」である。

 とはいえ、およそ機械というものは使っていれば壊れるものだ。いつかはその日が来るだろう。

 なぜか俺のクルマは、浮気心を起こし新しいクルマを物色していると調子が悪くなるような気がする。ワックスなんてかけなくても、人間が毎日乗ってさえいればクルマは朽ち果てたりしないものだ。しかし最近のように、体調があまりよろしくないとクルマに乗る機会が減ってしまうので、エンジンはなんだか不調になるし、ボディの痛みも心なしか早い。ネットで唯物論者だと大声で叫んでいる俺が言うのもなんだが、なんだか不思議な気分にさせられるよ。

 でも、これはおそらく人間の心が生み出す奇妙な錯覚にすぎないだろう。新しいモノへ次々と乗り換え、古いモノたちを簡単に忘れ去ることへの罪の意識は、俺にも露ほどには残っているようだ。

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2004.12.06

無意識の反映

 今月から金曜日にかわって月曜が休み。体調不良もあり、昼ごろまで寝ていると、ひどくエロティックな夢を見た。俺の家で美しい女性がひどく酔っ払って意識不明になり、床に寝ている。俺とその女性以外、家には誰もいない。こぼれた酒を浴びたのか、衣服がぬれて体にはりついている。美しく心奪われるが、彼女はどうやら俺の恋人ではない。彼女に声をかけるが起きてくれない。彼女の濡れた服を脱がし、毛布をかける。俺はちょっとどきどきしている。俺は2階にある俺の部屋に上がり、彼女に着せるべきシャツを探すのだが、なぜか半袖のものか、薄手のものしか見つからない。どうやら季節は冬だ。そうこうするうちに彼女は目覚める。下着姿の彼女は彼女は気分が悪そうだ。ソファからころがり落ちる。どこか頭を打ったようだ。痛そうに起き上がる。心配する俺を疑惑の目で見る。俺は焦って目を覚ます。

 どういうわけか、この夢に出てくる俺の家は、建て替え前の古いわが家をモチーフにしているようだ。彼女が倒れていた部屋は明らかに以前の家の応接間のフロアだ。しかしその古い家にはそもそも2階というものはない。2階に俺の部屋を作ったのは現在の家になってからなのだ。そしてそもそも彼女は誰なのか。

 夢というのは、フロイトに言わせれば無意識の反映だそうだ。淫夢というほどではないにしろ、この夢はいったいなんなのだろう。俺は潜在的に女性の服を脱がせたいという欲求を強くもっているのか。
 夢判断に詳しい人の意見を聞いてみたいけど、たまにそういう人を見つけてみると、精神分析というよりどちらかというと夢占いのようで、失望してしまうことのほうが多い。

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Wish You It Could Be Christmas Everyday?

 12月8日にはジョン・レノンの命日がやってきて、もうすぐクリスマス。今年は特に"Happy Christmas(War is Over)"が心に染みる。戦禍の中、災害の中、あるいは飢餓の中にある人びとに、サンタクロースはなにをもたらしてくれ、クリスマスはどんな意味をもつのだろう。イェルサレムやバグダッドでは人びとが平和な時が過ごせるものだろうか。

 俺はすっと無神論者と称してきたし、クリスマスに対する宗教的感慨といったものは特にない。でもこの年末のあわただしくもわくわくするような季節感は学生時代からずっと好きだった。今年のクリスマスはどこへ行こうか考えるのも好きだったし、クリスマスから年末にかけての、新しくやってくる年に思いを馳せる感覚も好きだった。それに対して新年開けてからの、のんびりとして妙に時間の経過が遅くなったような時間感覚はどうも好きになれなかった。みんなで盛り上げた文化祭の翌日のような虚脱感。結局、クリスマスもお正月も、すぎてしまえばいつもと同じ日常に戻っていく。
 それにしても、年がら年中、人びとが神に平和を祈り、敬虔な日々をおくっていたなら戦争はなくなるだろうか。もしそうならキリスト教徒にだって何にだってなってやるよ。

 で、こないだ、BAND AIDの"Do they know It's Christmas?"が車中で聴いたFMでかかってて懐しかった。高校時代好きだったUltravoxのMidge Ureが作曲した曲だ。イギリスで20年ぶりに再録音されたらしい。この曲は本来はアフリカの飢餓のためのチャリティソングだ。言い尽くされたことだが、クリスマスは、クリスマスを祝うことができる人々のためにだけある。

 WHAMの"Last Christmas"もその頃かな。個人的に思い入れのある曲としては、鈴木さえ子の"I Wish It Could Be Christmas Everyday In The UK"あたり。この曲になぜ思い入れがあるのだろうか。きっと高校生当時の俺の気分を投影してるんだろうね。まだ人生に時間がたくさんあったし、未来はどうにでもなるような気がしていたし、きっとよい方向に進むと信じていた。

クリスマスくらい敬虔になって、平和を祈ってみるのも、悪くないかも。

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2004.12.02

LinuxはWindowsを倒せるか?

体調が悪く週末はどこにも行けなかったので、ジャンクPCを使って、リリースされたばかりのVineLinux3.1で環境を構築してみた。はたして仕事に使えるだけのものかどうか、ちと見てみようと思ってる。

CD一枚でインストールできるのが軽快だ。CPUは450MHzのPentiumIIIでも動いているが、メモリは最低でも256MBないとXとGnomeを動かすには苦しいみたい。
Synapticというパッケージマネージャでアップデートやソフトのインストールも楽々行えるのもいいね。フリーのオフィスソフト、OpenOffice.org(以下OOo)も入れてみた。

じつは少々卑怯なことをやっていて、MSには悪いがWindows2000のフォントをLinuxに組み込んで使ってみている。おそらくなんらかのライセンス違反だろうけど、MozillaでもOOoでもとりあえずきれいに表示できている。

Screenshot
※12月12日追記。Mac OSX風のデスクトップ環境を構築し、
 スクリーンショットを作ってみた。(クリックで拡大)

さらに仕事で使っているMS Officeのワード文書をCD-Rに焼いてOOoに読み込ませてみた。やや編集しにくいように感じた。まだ使い勝手の点でMS Officeにはかなわないものがあると思うけれど、なにせ無料で使用できるソフトウェアなんだから、そこまで文句はいえない。まあ慣れの問題だろう。
とはいえ、まだプリンタも使用できる環境にないので、 OpenOffice.orgの実用性を本当の意味で試すには至っていないなあ。


さて、一般ユーザーでOOoが起動できないなどのVine3.0にみられたバグは解消していたので、Vine3.1には概ね好印象をもった。あえて言うなら、デフォルトのブラウザはMozillaではなくMozilla FireFoxにしてほしかったね。
あと、 Linuxでメールを使うことは今のところないけれども、いずれ実験的にSylpheedも使ってみたいと思ってる。

ファイルシステムなどの互換性の点で、まだ残念ながら仕事で使うことはまだできない状態だけど、この調子で機能を充実させていけば、サーバ用途だけでなく、デスクトップ市場でもフリーのOSであるLinuxがWindowsの独占を打ちまかす日も案外近いかもしれないね。

linux-tux-cccp

LinuxをはじめとするGNUライセンスはネット共産主義だなどと揶揄されることも多いけど、ワープロソフトなんて言い替えれば紙とエンピツのようなものなんで、商用ソフトの値段が高すぎるってのがそもそもいかんと思うよ。
かつてワープロ専用機が数十万円もしていたことを考えれば、ジャンクで組んだPCにLinuxを載せただけの数千円のこのマシンが、ネット機能をはじめこのような多様な機能を持てるなんて、本当によい時代になったものだと思うよ。革命もしかすると静かにはじまっているのかも。

※追記
今回のエントリははじめてLinux環境から書き込んでいる。日本語環境がやや使いにくいがなんだか楽しい。ただのLinuxミーハーである。

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