罪の意識
長くつきあっているクルマがエンジン移植を行うことになった。ウォーターポンプが壊れ、水がまわらなくなってオーバーヒートしたのが原因。
エンジンブロック交換はじつはこれで2度目。なにせ20年前のクルマ。若いころ無茶な運転をしていたうえ、長年にわたって通勤からサーキット走行まで一台でこなしてきたおかげで思いきり過走行である。
※この写真は何年か前の某クルマ好きの蒜山高原での集まり。
あいにくの天気だったけど楽しかったね。
今年はじめに修理した足回りの修理代50万円に加え、今回の出費はおよそ40万円。昨年の車検費用もいれるとけっこういいクルマが買えそうなんだけど、どうも替える気にならない。同僚曰く「ほとんど愛」である。
とはいえ、およそ機械というものは使っていれば壊れるものだ。いつかはその日が来るだろう。
なぜか俺のクルマは、浮気心を起こし新しいクルマを物色していると調子が悪くなるような気がする。ワックスなんてかけなくても、人間が毎日乗ってさえいればクルマは朽ち果てたりしないものだ。しかし最近のように、体調があまりよろしくないとクルマに乗る機会が減ってしまうので、エンジンはなんだか不調になるし、ボディの痛みも心なしか早い。ネットで唯物論者だと大声で叫んでいる俺が言うのもなんだが、なんだか不思議な気分にさせられるよ。
でも、これはおそらく人間の心が生み出す奇妙な錯覚にすぎないだろう。新しいモノへ次々と乗り換え、古いモノたちを簡単に忘れ去ることへの罪の意識は、俺にも露ほどには残っているようだ。
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