いつぞやありしか
「いつか見たことがある」という経験、中学生のころや高校生のころは、俺にもよくあったな。デジャ・ヴュ(既視感)っていうやつだ。いままでに一度も見たこともないものを見ているのに、いつかどこかで見たことがあるように感じたり、誰かのしぐさを以前どこか見たような気がしたりすること。
この種の「既視感」は、脳が疲れているときによくおこる偽りの記憶だといわれている。まあ、デジャ・ヴュが毎日のようにおこってたら、夢を語りゃ予言者になれそうだ(笑)。そうなったら新興宗教でも起こせるかな。
問題は、そのなにかが起こらなければ以前経験したことを思い出せないことなんだよね。そころへんがやっぱり「偽りの記憶」なんだろう。
そういえば、このごろデジャ・ヴュって全然経験しないな。実現してほしい夢も結構見てるのにさ。
デジャ・ヴュで思い出すのは、高校のとき古文の勉強中に出会った徒然草の一節。
「また、如何なる折りぞ、ただ今、人の言ふことも、目に見ゆる物も、我が心の中に、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思いでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。」
----吉田兼好(兼好法師) 徒然草第七十一段「名を聞くより」 後半より引用----
(拙訳)
「また、ふとした折りに、いま実際に人が言っていることとか、いま目の前にあることと、いま考えていることが、いつかあったような気がするが、それがいつあったこととも思い出せないのだが、本当にあったことのような気がするのは、私だけがこんなふうに思うのだろうか。」
兼好法師は、中世の隠者文学に分類されているみたいだけど、全然隠者っぽくないね。矛盾したことも結構言ってるし、下世話で、なんでも興味をもつ面白いおやじ。酒席で興に乗り、足鼎を頭にかぶって抜けなくなった仁和寺の僧の話(第五十三段)とか、ねこまたの話(第八十九段)なんか、まるで小咄みたいだ。この人のおかげで古文が好きになれたから、感謝してる。
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コメント
トラックバック有難うございます!
みんな経験あるんだな~~と思ったら安心しました!それとデジャ・ヴュ(既視感)というのも判ってよかったです!
どうも有り難う!
投稿: Yukipony | 2005.01.24 23:59