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2005.04.26

あまりに唐突で、不本意な死

 若い頃クルマやバイクの趣味に呆けた。今だってキライではない。サーキット走行など、少々危険なこともやってきたけれども、自分のミスで事故を起こして死ぬ、あるいはリスクを承知でなにかをやって結果死ぬというならば、周囲の人間はともかく、本人はある程度納得して死んでいけるかもしれないなどと考えたこともあった。バイクや自家用車で通学や通勤をせざるを得なかった身としては、そう考えなくてはやっていけなかったのだが、今思えば、周囲のことを何も考えてないきわめて無責任で勝手な考え。若い頃は、自分という人間の死によって失われていくものや壊れていくものについて、認識が甘かった。あるいは、他者への愛情も、愛されているという認識も不足していたのかも。

 昨日のJR福知山線の脱線事故のニュースには戦慄を覚えた。犠牲になった方々の数が次第にふえるのをテレビのニュースが伝えるたびに、たまらない吐き気がおそってくる。阪神大震災や、地下鉄サリン事件、あるいは同時多発テロの犠牲者のニュースを聞いたときもそうだった。
 公共交通機関の事故のニュースは、普段リスクを特に意識しないだけに、やりきれない。愛する人の不慮の死は、周囲の人間にとってどれほどの衝撃か、想像するに余りある。航空機ならともかく、ふだん電車ででかける人の、万一の事故を心配する人がどれだけいるだろうか。
 本人にとってはあまりに不本意な、予想だにしない人生の断絶。あまりの利便性に忘れがちだが、どんな交通機関を使おうとも、高速移動に伴うリスクは確実に存在する。死は意外と日常のすぐ近くに転がっている。

 圧倒的に不本意な死といえば、やはり戦争に巻き込まれて死ぬことかもしれぬ。ベトナムで、パレスチナで、ファルージャで、戦争はどれだけの人びとの人生を、唐突に、不本意な形で断ち切ってきたことだろう。
 戦争のできる国にしたい人びと、俺には「戦争をしたい人々」のようにも見えるのだが、彼らは、自分は戦争で死ぬことはないというふうに考えているのだろうか。あるいは、彼ら自身や、彼らの愛する人びとが命を落としても、戦争なら仕方がないという覚悟でもできているのか。
 俺たちは、ひとりひとりが「運命」という舞台の主演を演じていると思っている。映画やアニメじゃ、ふつう主人公は死なないよな。しかし本当の戦争は映画やアニメじゃない。いざ死ぬときになって、俺たちはこの「日本」という巨大な舞台の脇役だってことをを悟るんだろうか。

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2005.04.23

憲法 その崇高な理想と目的

 ゴールデンウィークの休日のうち、4月29日の「みどりの日」は最近「昭和の日」などと名称変更されるらしい。あのひとたちはこの日が昭和天皇の誕生日だったことをそんなに思い出させたいのかねえ。
 昔、俺の通った大学の政治学の先生で、いまでも地方テレビ局の選挙報道によく出てくる某国立大の教授が、講義の中で、「私は右翼なので天皇誕生日賛成です。どうせなら神武天皇以来、歴代すべての天皇の誕生日を全部休日にしてほしいと考えます」なんて冗談をいっていたのが思い出される。そういえば、俺が大学3年生だったころまで、かろうじて4月29日が「天皇誕生日」だったんだっけ(ここで年齢がバレる)。

 そして5月3日はいうまでもなく憲法記念日。最近はかつてないほど憲法についての議論が活発だが、俺は情緒的に現行憲法を愛しているし、信条として支持している。

 改憲論者の一部は「憲法はもはや古く、現在の世の中には対応できていない」という。現在の憲法が制定されたとき、想定されていなかったという意味の「新しい人権」の保障はどうするのかと。一部の政党などはそれにのせられて「憲法の民主的条項の改正なら支持する」などと表明しているところもある。しかし、改憲論者の陥穽にハマってはいけない。
 俺は、環境権は憲法に明文化せずとも、現在の憲法の規定にある生存権(25条)や幸福追及権(13条)にその根拠を求めることができると考える立場を支持する。また、「知る権利」や「プライバシーの権利」についても、現在の憲法条文に根拠をもつ立法行為によって対処可能であると考えている。まして取り急ぎ憲法を改正しなければならないようなものではまったくない。

 また、よくいわれる「憲法裁判所」の設置の必要性も特にないだろう。もともと憲法において違憲審査権をもつはずの裁判所が、「統治行為論」の名のもとに、本来影響されるはずのない政治的な理由で判断を避けてきたことこそが問題なんであって、最高裁判所は「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」(81条)であると憲法は定めているんだから、司法権の独立性をより高め、機能強化することで対処できるはずである。

 これらは、自衛隊法その他の制定について、9条をほとんどなし崩し的に解釈変更することによって強引におこなわれてきたために発生した矛盾にくらべれば、とるに足らない問題だ。中学校の社会科公民分野の教科書だって、憲法は国の「最高法規」であるということくらいは教えている。

※「第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」

 改正論者にとってのの本丸は、さまざまなことでカモフラージュしたとしても、第9条であることに疑いの余地はない。改正論者は「憲法を改正する場合は国民投票をおこなうと規定されているにもかかわらず、国民投票について定めた法律がないから制定しなければならない」なんていっている。しかし、あくまでも個人的な意見として言わせてもらうなら、第9条なんかよりもさきに、第1条の「天皇の地位」について考えてみてはどうかと思うよ。天皇の地位については、憲法には「国民の総意に基づく」(1条)と規定されているにもかかわらず、天皇制の存続に関する国民投票といったものは規定として持っていないよね。憲法草案が旧帝国議会で採択されて以来、日本国民が天皇制の存続について尋ねられたことは一度もないんだが、これは問題ないのかね。

 しかしながら、そんなことは些細なこと。今はこの憲法を一言一句変える必要はない。半世紀以上経ってもいまだ色あせない進歩的な条項は、なんとしても守らなくてはならない。一部の改憲論者は、この憲法がもはや古臭く、国際社会から嘲笑されているかのように言うが、いったいどこの誰がそんなこと言っているというのだろうか、知っていたら教えてほしいものだ。


(日本国憲法前文より)

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

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2005.04.20

玄界灘にて

 何年か前、同僚のクルマで、ともに教えていた日本史の学生たちから、希望者3名を連れて佐賀県の肥前名護屋城址に行った。身近な史跡を訪ねるのも気分がかわっていいかもと思ったのだ。学生たちが貧乏講師らに呼子のイカをバカ食いさせろと言いはしないかと危惧したけど、これは杞憂であった。
 ちなみに同行した同僚は某私立高校の講師でもあり、週末のスポーツ仲間。だからといって必ずしも歴史観やスタンスが一致するわけではないひとなのだが、なにかとよく議論するし、学ぶべきことも多い。なんつっても俺とおなじ九州の阪神ファンである。

 城址は天草・島原の乱以降、一揆勢が立てこもることを恐れ、石垣などは徹底的に破壊されてしまった。しかし、朝鮮侵略の前線基地にしては規模が異様なほど大きいことははっきりわかる。周辺には大名たちの陣の址もあり、掲示板などで本丸のあった高台からその場所を確認できるようになっている。いまでも発掘がすすめられ、近年も秀吉の茶室あとなどが出土しているらしい。

 天気もよかったので、玄界灘も遠くまで見渡せた。沖に見える鷹島はもう長崎県。元寇のとき元軍が上陸し、島を蹂躙したことでも知られる場所である。鷹島沖では近年、元軍が用いたとされる「てつはう」の実物とおぼしきものが海中からはじめて発見された。「蒙古襲来絵詞」に炸裂する場面が描かれているアレである。

 名護屋城には名護屋城博物館が併設されており、特に朝鮮半島との交流史を学ぶことができる。念のために言っておくと、この博物館の展示物は秀吉の朝鮮侵略を美化するものでは決してない。博物館のWebサイトには「名護屋城博物館は、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱、1592~1598年)を侵略戦争と位置付け、その反省の上に立って、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史をたどり、今後の双方の交流・友好の推進拠点となることを目指して、1993(平成5)年10月30日、名護屋城跡に隣接する位置に開館しました。」とある。日本軍の用いた軍船とともに有名な朝鮮水軍の亀甲船の模型も展示してある。元寇についての展示もあり、元に抵抗した三別抄の紹介もある。また日本統治下の朝鮮の子どもたちが用いた教科書の展示などもあり、古代から近代にいたる日本と朝鮮半島の関係史を学ぶことができるようになっている。

 学生諸君には、見学後、ここの学習室でセンター試験対策の演習問題を解かせた。休日といえど一日中勉強させないわけにはいかないのである。

 帰りに、「漢委奴国王」の金印が発見されたという志賀島へ行った。金印公園に遊ぶ。金印のモニュメントのある公園の地面には、金印のもたらされた1世紀ごろの東アジアの地図が描かれている。
 また志賀島には、文永の役(1274)および弘安の役(1281)にて戦死した元軍の兵士(実質は高麗兵が大部分)のために、モンゴル文字が刻まれた蒙古塚や供養のための塔がある。戦前(1928)に作られた供養塔の碑文は時の首相、田中義一によるもの。この碑の除幕式は盛大におこなわれ、多くの人々が参列したという。
 この碑の前には、除幕式にも参加した当時の華北軍閥の巨魁、張作霖の「蒙古軍供養塔賛」の碑も建てられている。張作霖が元の将兵を弔う日本人のメンタリティを賞賛しているものだが、それからまもなくいわゆる「満州某重大事件」で日本軍(関東軍)に爆殺される張作霖の運命を考えれば、なにやら感慨深いものがある。この事件当時の首相は言うまでもなく田中義一。事件後、昭和天皇の不興を買ったとして彼の内閣は総辞職した。そして張作霖の子、張学良はその後、国民政府に下っていたが、共産党征伐にばかり熱心な蒋介石に憤慨して西安事件を起こし、第二次国共合作のきっかけをつくった。

 志賀島の磯でしばらく遊び、帰りのクルマのなかでは、学生たちといろんな話をして過ごした。このときの学生のひとりは、大学では国際交流関係の学部に進んだ。今年もできることならこのようなイベントをやってみたいものだけど、夏ごろの俺の体調次第かな。
 志賀島といえば、さきの地震で壊滅的な被害をうけた玄界島のすぐそばである。地震後は周回道路が通行止めになっていた。これらのモニュメント群は被害を免れただろうか。

 中国・韓国の反日運動の報道には、本当に悲しい気持ちになる。背景にはいろいろあるだろうし、破壊行為はもちろん許されないことだが、小泉首相をはじめとする与党政治家のアジア諸国に対する配慮がかけらも見られないことも、かの国のいらだちの原因だろう。国連安保理の常任理事国になるなら、アジアの隣人に歓迎されてこそ意味があるはずだ。俺個人は、今の日本が常任理事国になる必要はないと思っているのだけれども、もしその時がくるなら、アメリカの応援団としての常任理事国じゃなくて、アジア諸国の代弁者としての常任理事国になってほしいと思っている。

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2005.04.06

「薔薇の名前」

nameofrose ジャン=ジャック=アノー監督「薔薇の名前」を昨日(4日深夜)NHK BSで久々に見た。構造小説的な趣のあるウンベルト=エーコの原作小説を、映画は14世紀の修道院を舞台にした興味深いミステリに仕上げている。十数年前の映画とはいえ、未見の方にネタバレになっては困るので、ここで物語の結末は書かないが、この映画は欧州諸国の合作であるだけに、ヨーロッパ中世の雰囲気をよく描けている。
 もちろん何度も見ているはずなんだけど、今回は第264代ローマ法王ヨハネ=パウロ2世が亡くなったばかりなので、いろんなことを考えながら改めてこの映画を見た。

 教会の腐敗、中世の教会の女性観、法王庁とフランチェスコ会の清貧をめぐる議論、フランチェスコ派とドミニコ派の教義の解釈の違いなども散りばめられ興味深い。また、修道会が修行の一環としておこなっていた文献の翻訳や写本も物語の重要な要素として描かれている。特にギリシア哲学の保存者としての修道会の立場と、それらと教会の教義との矛盾がこの物語の重要なカギとなっている。

 キャストでは、かつて異端審問官だったが、ある事件によってその座を追われたフランチェスコ派修道士、バスカヴィルのウィリアムを、ショーン=コネリーが陰影深く演じている。彼は、法王庁の使者との論争をおこなうべく滞在中であった北イタリアのドミニコ派修道院で、数々な奇怪な事件に遭遇する。彼とクリスチャン・スレーター演じる弟子のアドソは、結果的にこれらの事件を推理していくことになる。ウィリアムが当時最新のテクノロジーであったと思われる眼鏡(老眼鏡)をかけ、砂時計やアストロラーベほか当時最新のさまざまなテクノロジーをひそかに携帯しているあたりは、中世にも息づいていた科学的な見地を象徴しているようにも思える。そして明らかになっていくのは、一連の恐ろしい事件は悪魔の仕業などではなく、人間の仕業であるという事実。

 異端審問や異端者の火刑も描かれる。火刑は公開のもとに行われた。ヨハネス=ケプラーの母も魔女として裁かれたことは以前に書いたが、月は真っ赤な焼けた石であるといった天文学者ジョルダーノブルーノも、宗教改革のさきがけであったベーメンのフスも、異端として火刑に処せられた。
中世の異端審問や魔女裁判では、結論ははじめから出ていた。ゆえにあらゆる証拠が当事者にとって不利にはたらくよう誘導される。そして異端を擁護したものもまた異端とみなされるのだ。個人的には、昨今のリベラルなブログに対する陰湿な攻撃はこれを思わせるものがあると思うよ。

johannes_paulusii ヨハネ=パウロ2世が、進化論を認め、中世の異端審問のあやまりやガリレオ=ガリレイへの宗教裁判に対する謝罪をおこなったのは画期的であったとあらためて思う。カトリック数百年の歴史を背負っていた法王がここまで認めたことは評価すべきだろうね。一方で妊娠中絶や避妊、女性の聖職叙任などについての法王の立場を保守的と批判する向きもあるけど、これは教会にとって未来の課題なんだろう。
 「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。」広島で平和のメッセージを発信した法王の姿は、無神論者である俺にとっても忘れ得ない。戦争もまた悪魔の仕業ではなく、人間の仕業である。

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