「薔薇の名前」
ジャン=ジャック=アノー監督「薔薇の名前」を昨日(4日深夜)NHK BSで久々に見た。構造小説的な趣のあるウンベルト=エーコの原作小説を、映画は14世紀の修道院を舞台にした興味深いミステリに仕上げている。十数年前の映画とはいえ、未見の方にネタバレになっては困るので、ここで物語の結末は書かないが、この映画は欧州諸国の合作であるだけに、ヨーロッパ中世の雰囲気をよく描けている。
もちろん何度も見ているはずなんだけど、今回は第264代ローマ法王ヨハネ=パウロ2世が亡くなったばかりなので、いろんなことを考えながら改めてこの映画を見た。
教会の腐敗、中世の教会の女性観、法王庁とフランチェスコ会の清貧をめぐる議論、フランチェスコ派とドミニコ派の教義の解釈の違いなども散りばめられ興味深い。また、修道会が修行の一環としておこなっていた文献の翻訳や写本も物語の重要な要素として描かれている。特にギリシア哲学の保存者としての修道会の立場と、それらと教会の教義との矛盾がこの物語の重要なカギとなっている。
キャストでは、かつて異端審問官だったが、ある事件によってその座を追われたフランチェスコ派修道士、バスカヴィルのウィリアムを、ショーン=コネリーが陰影深く演じている。彼は、法王庁の使者との論争をおこなうべく滞在中であった北イタリアのドミニコ派修道院で、数々な奇怪な事件に遭遇する。彼とクリスチャン・スレーター演じる弟子のアドソは、結果的にこれらの事件を推理していくことになる。ウィリアムが当時最新のテクノロジーであったと思われる眼鏡(老眼鏡)をかけ、砂時計やアストロラーベほか当時最新のさまざまなテクノロジーをひそかに携帯しているあたりは、中世にも息づいていた科学的な見地を象徴しているようにも思える。そして明らかになっていくのは、一連の恐ろしい事件は悪魔の仕業などではなく、人間の仕業であるという事実。
異端審問や異端者の火刑も描かれる。火刑は公開のもとに行われた。ヨハネス=ケプラーの母も魔女として裁かれたことは以前に書いたが、月は真っ赤な焼けた石であるといった天文学者ジョルダーノブルーノも、宗教改革のさきがけであったベーメンのフスも、異端として火刑に処せられた。
中世の異端審問や魔女裁判では、結論ははじめから出ていた。ゆえにあらゆる証拠が当事者にとって不利にはたらくよう誘導される。そして異端を擁護したものもまた異端とみなされるのだ。個人的には、昨今のリベラルなブログに対する陰湿な攻撃はこれを思わせるものがあると思うよ。
ヨハネ=パウロ2世が、進化論を認め、中世の異端審問のあやまりやガリレオ=ガリレイへの宗教裁判に対する謝罪をおこなったのは画期的であったとあらためて思う。カトリック数百年の歴史を背負っていた法王がここまで認めたことは評価すべきだろうね。一方で妊娠中絶や避妊、女性の聖職叙任などについての法王の立場を保守的と批判する向きもあるけど、これは教会にとって未来の課題なんだろう。
「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。」広島で平和のメッセージを発信した法王の姿は、無神論者である俺にとっても忘れ得ない。戦争もまた悪魔の仕業ではなく、人間の仕業である。
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コメント
TB有り難うございます。何度見ても、とっても楽しめる映画ですね。まあ、楽しめると言っても、エンターテイメントというよりはなにか深い感慨を覚え、考えさせられるタイプの作品ですが。
特異な事件なのに、ある時代の一場面を切り取ったかのような妙なリアリティーが生々しく、人間の叡智といったものを改めて考えさせられました。
投稿: alice-room | 2005.04.07 17:15
TBとコメントをいただき、有難うございます。
もう何年も前に見た映画でしたので、印象でしか覚えていなかったのですが、記事を拝読して、具体性が蘇ってまいりました。
有難うございます。
投稿: ahaha | 2005.06.14 04:30
>Rough Toneさん
TBとわざわざのコメントありがとうございます。
Rough Toneさんのレビューは時代背景など
からめてかかれていて、とても勉強に
なりました。
やはり、こういう時代のことは背景や実在の
人物をある程度把握して観た方が
いいのかもしれませんね。
また学ばせてもらいに読ませて
いただきます。
投稿: ユカリーヌ(月影の舞) | 2005.06.14 15:48