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2005.04.20

玄界灘にて

 何年か前、同僚のクルマで、ともに教えていた日本史の学生たちから、希望者3名を連れて佐賀県の肥前名護屋城址に行った。身近な史跡を訪ねるのも気分がかわっていいかもと思ったのだ。学生たちが貧乏講師らに呼子のイカをバカ食いさせろと言いはしないかと危惧したけど、これは杞憂であった。
 ちなみに同行した同僚は某私立高校の講師でもあり、週末のスポーツ仲間。だからといって必ずしも歴史観やスタンスが一致するわけではないひとなのだが、なにかとよく議論するし、学ぶべきことも多い。なんつっても俺とおなじ九州の阪神ファンである。

 城址は天草・島原の乱以降、一揆勢が立てこもることを恐れ、石垣などは徹底的に破壊されてしまった。しかし、朝鮮侵略の前線基地にしては規模が異様なほど大きいことははっきりわかる。周辺には大名たちの陣の址もあり、掲示板などで本丸のあった高台からその場所を確認できるようになっている。いまでも発掘がすすめられ、近年も秀吉の茶室あとなどが出土しているらしい。

 天気もよかったので、玄界灘も遠くまで見渡せた。沖に見える鷹島はもう長崎県。元寇のとき元軍が上陸し、島を蹂躙したことでも知られる場所である。鷹島沖では近年、元軍が用いたとされる「てつはう」の実物とおぼしきものが海中からはじめて発見された。「蒙古襲来絵詞」に炸裂する場面が描かれているアレである。

 名護屋城には名護屋城博物館が併設されており、特に朝鮮半島との交流史を学ぶことができる。念のために言っておくと、この博物館の展示物は秀吉の朝鮮侵略を美化するものでは決してない。博物館のWebサイトには「名護屋城博物館は、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱、1592~1598年)を侵略戦争と位置付け、その反省の上に立って、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史をたどり、今後の双方の交流・友好の推進拠点となることを目指して、1993(平成5)年10月30日、名護屋城跡に隣接する位置に開館しました。」とある。日本軍の用いた軍船とともに有名な朝鮮水軍の亀甲船の模型も展示してある。元寇についての展示もあり、元に抵抗した三別抄の紹介もある。また日本統治下の朝鮮の子どもたちが用いた教科書の展示などもあり、古代から近代にいたる日本と朝鮮半島の関係史を学ぶことができるようになっている。

 学生諸君には、見学後、ここの学習室でセンター試験対策の演習問題を解かせた。休日といえど一日中勉強させないわけにはいかないのである。

 帰りに、「漢委奴国王」の金印が発見されたという志賀島へ行った。金印公園に遊ぶ。金印のモニュメントのある公園の地面には、金印のもたらされた1世紀ごろの東アジアの地図が描かれている。
 また志賀島には、文永の役(1274)および弘安の役(1281)にて戦死した元軍の兵士(実質は高麗兵が大部分)のために、モンゴル文字が刻まれた蒙古塚や供養のための塔がある。戦前(1928)に作られた供養塔の碑文は時の首相、田中義一によるもの。この碑の除幕式は盛大におこなわれ、多くの人々が参列したという。
 この碑の前には、除幕式にも参加した当時の華北軍閥の巨魁、張作霖の「蒙古軍供養塔賛」の碑も建てられている。張作霖が元の将兵を弔う日本人のメンタリティを賞賛しているものだが、それからまもなくいわゆる「満州某重大事件」で日本軍(関東軍)に爆殺される張作霖の運命を考えれば、なにやら感慨深いものがある。この事件当時の首相は言うまでもなく田中義一。事件後、昭和天皇の不興を買ったとして彼の内閣は総辞職した。そして張作霖の子、張学良はその後、国民政府に下っていたが、共産党征伐にばかり熱心な蒋介石に憤慨して西安事件を起こし、第二次国共合作のきっかけをつくった。

 志賀島の磯でしばらく遊び、帰りのクルマのなかでは、学生たちといろんな話をして過ごした。このときの学生のひとりは、大学では国際交流関係の学部に進んだ。今年もできることならこのようなイベントをやってみたいものだけど、夏ごろの俺の体調次第かな。
 志賀島といえば、さきの地震で壊滅的な被害をうけた玄界島のすぐそばである。地震後は周回道路が通行止めになっていた。これらのモニュメント群は被害を免れただろうか。

 中国・韓国の反日運動の報道には、本当に悲しい気持ちになる。背景にはいろいろあるだろうし、破壊行為はもちろん許されないことだが、小泉首相をはじめとする与党政治家のアジア諸国に対する配慮がかけらも見られないことも、かの国のいらだちの原因だろう。国連安保理の常任理事国になるなら、アジアの隣人に歓迎されてこそ意味があるはずだ。俺個人は、今の日本が常任理事国になる必要はないと思っているのだけれども、もしその時がくるなら、アメリカの応援団としての常任理事国じゃなくて、アジア諸国の代弁者としての常任理事国になってほしいと思っている。

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