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2005.05.06

LinuxとBigBlueの不思議な関係

 連休が終わったからというわけじゃないけど、久しぶりにLinuxやPCのお話でも。

Screenshot2_2

 つい最近、いままでLinuxデスクトップとして使っていた機械より、ちょっとだけマシなセコハンPCが手に入った。Vine Linuxの入ったハードディスクごと移植したんだけど、kudzuがうまく働いてくれていとも簡単に起動に成功した。これまではPentiumIII450MHzだったのが、このたびCeleron667MHzになったことになる。CPUのグレードとキャッシュの量は落ちるんだけど、単純に速くなったと感じるね。200MHzの差というよりも、ディスクアクセスがこっそりATA33からATA100になったから、こちらの影響のほうがむしろ大きいのかもしれない。いずれにしても、Pentium4が数GHzいってる時代の話題じゃないかな。
 最近、いくつかのディストリビューションでX Windowを使うと、Windows2000やXPよりかなり重くなるのには少々凹んでいたんだけれど、Vineのデスクトップ環境はカーネルが2.4系なんで、XとgnomeやKDEを使ってもメモリは256MBでも充分速い。


big_brother

 かのIBMが数年前にこんなフラッシュを公開している。1984年のMacintosh登場時、スーパーボウルのCMでAppleにBigBlueならぬBigBrotherとまで揶揄されたあの巨大企業が、今や広告CMとはいえPeaceだのLoveだのと叫んでいる。なんという皮肉。
 この会社、最近日本企業や中国企業にPCハードウェア部門を売り払って、ソフトウェアサポート中心のソリューションに事業形態を変えていっているらしいけど、すこし前からオープンソース推進の立場をとってLinux陣営の応援団になってる。本当にあなどれないね。このおそるべき企業は・・・。
 IBMといえば、映画「2001年宇宙の旅」"2001 A Space Odyssey"(1968)に登場する、知性をもったコンピュータ、「HAL」の文字をアルファベットで一文字ずつすすめると「IBM」っていうのは有名なお話。

 個人的には、昔も今もアメリカ製品買うのは嫌なので、PCは当時国産だったNEC機を長く使っていたけれども、PC-98が消滅し、俺も都合4台のIBM製デスクトップPCを使った。IBMの機械の丈夫さに感心したのを覚えている。分厚い鉄板のミドルタワーケースは、なんと踏み台にすら使えたんだよ。
 今ではさすがに古くなり、残っている3台ともすべてケースを残してマザーボードから電源にいたるまですべて交換されてしまっている。さきに述べたのLinux PCもじつはIBM Aptivaのケースに市販のマザーボードを入れたものだ。

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2005.05.03

憲法についての覚書

近代憲法の特徴(末川博・元立命館大学学長・法学博士による)

1.国家権力の干渉からの個人の解放。→ 国家権力からの自由。
2.国民主権の原則。→ 近代憲法を近代憲法たらしめる中核的原則。
3.権力分立。 → 権力を機能に応じて分割し、抑制と均衡によってその濫用を防ぐ。


「憲法3原則の再検討を」(共同通信)
 「憲法論議の活発化などを目的とした「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調、三浦朱門代表世話人)は3日、提言を発表した。憲法3原則の国民主権と平和主義、基本的人権の尊重などに関し「憲法の目的がより良き国家の形成にあり、諸原則はその実現のための手段である以上、いたずらに聖域視することなく、正しい把握と再検討が必要だ」と主張している。」
[共同通信社:2005年05月03日 19時30分]


 改憲勢力がそのターゲットにしている「平和主義」はともかく、市民革命以来の近代の人権思想の根幹をなす「国民主権」や「基本的人権の尊重」まで再検討しろというのだから恐れ入るよ。「識者」さんたちのいう「より良き国家」っていったいどんな国家なのかね。

 GHQのもと日本占領にあたったアメリカ人官僚の多くは、F.ローズヴェルト時代に台頭した「ニューディーラー」とよばれる、リベラルで理想主義的な人びとだった。彼らは、当時のアメリカ合衆国憲法すら実現し得なかった、多くのすぐれた規定を憲法草案に加えた。今日、侵略戦争や国際紛争解決の手段としての戦争を否定した憲法はひとり日本国憲法のものではないが、一切の戦争を否定し、すべての戦力の不保持を宣言した憲法はいまも世界に類例のないものである。
 たしかにGHQ案より幣原内閣の作成した草案(いわゆる松本試案)のほうが、制定過程だけを見れば形式として理にかなっていたのかもしれない。しかし、政府の草案は旧憲法にお色直しを施しただけのお粗末なシロモノにすぎなかった。近代憲法の原則に適合した草案は、所詮当時の政府には作りえなかったのである。言葉は悪いが「いいものはいい」と俺は思う。イギリスで発達した 「法の支配」の考え方における「法」の正当性とは、法の制定過程の正当性を重視する、いわゆるドイツ流「法治主義」の考え方とは大きく異なっている。制定過程よりもむしろ、自然法にてらし「よき法」であるかどうかに重きを置くべきであるとされる。

 面白いのは、憲法公布まもないころの国会の論戦だ。現在、代表的な護憲勢力としてとらえられている日本共産党の野坂参三議員(当時)が、国会で「正しくない戦争(侵略戦争)と正しい戦争(防衛戦争)があるので、『侵略戦争の放棄』に変えてはどうか」と国会で当時の吉田茂首相に質問している(1946年6月28日、衆議院本会議)。
 それに対して吉田首相は「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実である」と述べ、「正当防衛権を認むることがたまたま戦争を誘発する所以である」と答弁した。現在とはおよそ攻守が逆転しているのが面白いところ。
 ちなみにその後、日本共産党は、幾度か綱領を改定し、第9条が日本の軍国主義への歯止めとなる進歩的条項であると認め、日本社会党などとともに第9条護憲の立場に転じた。

 この状況に劇的な変化がおきたきっかけは、東西冷戦の激化に伴うアメリカの対日占領政策の転換だ。1948年に朝鮮半島が分断され、49年に中華人民共和国が成立するという事態となると、アメリカは一気に反共政策を強化した。レットパージが行われる一方で、戦犯指名された政治家の多くが追放解除となって続々と国政に復帰してきた。日米開戦当時の東条内閣の商工相であった岸信介や、京大滝川事件当時の文相であった鳩山一郎も、このころぬけぬけと政界に復帰してきた。言うまでもなく、現在自民、民主両党で、憲法改正を主張する勢力の中心をなしている政治家の祖父たちである。

 鳩山氏が自由党内の反吉田勢力を結集してつくったのが当時の民主党。また、1955年の左右社会党の合同に危機感を抱いた財界の肝煎りでその民主党と自由党が合同してできたのが現在の自由民主党だ。鳩山氏はその初代総裁として首相をつとめた。また岸氏は追放解除後、同じく自由民主党総裁となって首相をつとめ、日米安全保障条約改定を強行した。占領後期のレッドパージから単独講和、独立、安保条約調印という一連の流れの中で、公務員の争議権は失われ、教育委員の公選制は任命制となり、朝鮮戦争を機に創設された警察予備隊はまもなく自衛隊にかわった。破壊活動防止法の制定という治安立法もおこなわれ、戦後の民主主義はここで大きな逆風を受け、後退を余儀なくされた。

「この世における一切の法は、闘いとられたものである。あらゆる重要な法規は、まずこれに抗争する者の手からもぎとらねばならなかった。そうして民族の権利たると個人の権利たるを問わず、すべての権利は、これが主張に対する不断の用意を前提する。法は、単なる思想ではなくて、生きている力である」
-----イェーリング「権利のための闘争」-----

なんとか憲法記念日のうちにアップできた。
今後少し手直しするかもしれないが悪しからず。

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