« きのうは(!)独ソ開戦の日 | トップページ | Musical Baton »

2005.06.24

ウルグ・ベク

 天体の法則をあきらかにしてきたコペルニクスやジョルダーノ=ブルーノやガリレオ、ケプラーについては、強く心引かれるものがある。主に欧州の科学史のなかで登場してきた人々だが、アリスタルコスやプトレマイオスの時代と、コペルニクスの時代の間には、もはや暗黒時代とはいわないまでも、キリスト教的中世という大きな谷間が横たわっている。しかし、古代ギリシアやヘレニズム、ローマ時代の自然科学の成果は、高度な文明を誇ったイスラム教徒が保存し、西欧に再摂取させたということは、あまり一般に知られていない。

 今回のエントリでは、昨日のエントリで触れたティムールの孫にあたる、ウルグ・ベク(Ulugh Beg ,1393~1449 位1447~1449)を中心に書いてみたい。
 彼は、ティムール帝国第4代のスルタンであるとともに、天文学、歴史学、文学、神学など、およそありとあらゆる方面で才能を発揮した中世イスラムを代表する天才でもある。

 ウルグ・ベクは、青く美しきティムールの都サマルカンドに、彼の名を冠した神学校(ウルグ・ベク・マドラサ)を創設し、帝国内外から優れた学者を招いた。ティムール帝国をわずか4代にして世界に冠たる文化国家に押し上げたのは、主として彼の業績であったといっていい。

 さらにサマルカンドには、ウルグ・ベクが建設した天文台があった。古代グプタ朝インドの数学者にして天文学者のアリヤバータ(Aryabhatta, 476~550)がすでに唱えていた地動説は、インドで生まれたゼロの観念などとともに、すでに中世イスラム社会には知られるところとなっていた。15世紀初頭、ここでウルグ・ベクはみずから「六分儀」という観測器を用いて天体を観測し、現代の天文学者が計算するそれとほとんど違わぬ精度で、地球が太陽の周囲を回る時間、つまり1年の長さを算出してみせたという。それはコペルニクスの「天球の回転について」が出版される一世紀も前のことだ。

 聞けば、ウルグ・ベク・マドラサの中庭には、科学史上名高い5人の天文学者の像が建てられているという。アレクサンドリアのプトレマイオス(生没年不詳、2世紀)、イタリアのガリレオ・ガリレイ、ポーランドのコペルニクス、ホラズムのビルーニー(973~1048頃)と、ウルグ・ベク自身。いつかそれらを目にしてみたいと思う。スルタン・ウルグ・ベクが現代に生きていたら、ニュートンやケプラー、アインシュタインなどの像をここに付け加えようとするかもしれない。

 彼の真理へのあくなき探究心は、保守的なイスラム聖職者を困惑させ、その憎悪を招いた。好きな学問に勤しむには、スルタンの地位はあまりにも重かった。このエピソードを知った高校時代、武門に生まれながら万葉の雅に思いをはせ、心打つ歌を詠んだ鎌倉幕府の第3代将軍、源実朝のことを思い出さずにはいられなかった。彼らに欠けている資質というものがあったとするなら、帝王としてのそれだろうか。

 彼らはやがて、ともに実の息子や甥による暗殺という悲劇的な最期を遂げることになる。

 英主を失ったティムール帝国は、やがてウズベク人によって征服され、ボハラ、ヒヴァ、コーカンドの3ハン国が成立する。そして19世紀になってそれらはロシア帝国に編入されることになる。旧ソ連時代はウズベク共和国と呼ばれていたウズベキスタンが独立するのは、1991年のソ連の解体後のことである。

|

« きのうは(!)独ソ開戦の日 | トップページ | Musical Baton »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19737/4682052

この記事へのトラックバック一覧です: ウルグ・ベク:

« きのうは(!)独ソ開戦の日 | トップページ | Musical Baton »