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2005.06.29

「きけわだつみのこえ」 その1

その1
 → 本題とまったく関係なさそうな予告編
      俺の「モーターサイクルダイアリー」

 ここに書くのは、当時の日記をもとにした小説のようなもの。1980年代も末の頃だと思ってほしい。

 大学3年生の夏、なぜか突然信州に出かけてみようと思い立ち、バイト代をひっつかむと、ひとり愛車VT250Fで都市高速をつっぱしり、小倉の日明港にあったフェリー乗場から、神戸へと向かった。野沢菜を食いたいと思ったのだ 。たぶんツーリング系のバイク雑誌で信州のことがよく取り上げられていたことにも影響されていたのだろう。

 二等客室で一晩を過ごし、翌朝はやく、当時フェリーターミナル以外なんにもなかった六甲アイランドに着いた。思えば旅先の宿のことなどまったく考えていなかった。最悪、宿がとれなければ、夏だからどこかで野宿でも出来るだろうと適当に考えていた。

 途中、俺にとって聖地であった甲子園球場に寄ったり、京都でいくつか寺めぐりをしたり、これまた当時のバイク乗りの聖地であり、その年の8時間耐久レースが行われたばかりであった鈴鹿サーキットへ立ち寄ったりして、自由気ままな旅を続けた。関西での数日間の宿はビジネスホテルやユースホステルに飛び込んですごした。立ち寄った甲子園球場ではその日、当時浩宮と呼ばれていた現在の皇太子が高校野球の開会式に出席するとかで、警官が球場付近のいたるところにいたのを覚えている。怪しいバイク乗りのいでたちでは、球場に近づくこともできず、球場近くのコンビニでなにか飲みながら甲子園球場のほうを見やり、ひとり腹をたてたのを覚えている。

 父親の遺骨の納められている真宗大谷本廟のわきをかすめ、1号線を京都から名古屋方面へひた走った。当時は父親に線香をあげようなどとは、露とも考えていなかった。
 3日目の夕方には名古屋についた。暇つぶしに道中みつけたバッティングセンターに行って何セットかバットを振った。ところが、ながくバイクで走ってきたため、革のライディンググラブの下で手はふやけきっており、手のひらの皮がべろっと剥けてしまった。考えてみれば無謀である。

 おまけに、名古屋で当日の宿を探したが見つからず、とりあえず薬局に寄り、手に応急処置。ついでにユンケルかなにかを買って飲み、徹夜を覚悟した。夜に走り回っても危険なだけなので、一宮市あたりの街道筋にあった、24時間営業のゲームセンターで朝までなんとか過ごそうとした。

 ところが、深夜、ゲームセンター前でバイクにまたがったまま休憩していると、いわゆる「ヤンキー」とよばれる少年たちにからまれることとなり、ひと悶着あった。15、16歳くらいの少年ふたり組みが、しきりにバイクを貸してくれとからんでくる。たまりかねてひとりの少年の胸倉をつかむと、もうひとりが捨て台詞をのこして駐車場に走り、やくざだと自称する中年男がなにか叫びながら走ってきた。どうやら少年たちの父親のようだった。酒かくすりにでもに酔っているのか、顔がまっかである。「ヤクザをなめるな」などと叫んでいる。

 こちらはなんとしてもバイクを奪われるわけにはいかないので、蹴飛ばすように振り切ってアクセルを開け、走り出した。俺が胸倉をつかんだほうの少年は、俺のバイクに蹴りを入れてきた。バイクはぐらついたが、転びはしなかった。やつらをぶちのめしたい気分だったが、とりあえずその場をあとにした。痛む手で胸倉を掴んだためか、グラブの中の手がじんじん痛む。

 すると彼らは、白いクルマに乗り込み、タイヤをきしませてゲームセンターの駐車場を出て、こちらを追いかけてくるではないか。いくつかの辻を曲がり、なんとか振り切ったが、自分がどこにいるのか皆目見当がつかなくなっていた。
 真っ暗な道路に一軒のコンビニをみつけて飲み物を買い休んだ。とりあえずコンビニ前でバイクにまたがったままもう一度一眠りすることにした。しかしどうにも眠れない。そうこうするうちに夜が明け初めたので、もう一度バイクを走らせることにした。

 明るくなったので、バイクを降りて、昨夜蹴られた個所を見る。VTにつけていたモリワキフォーサイトマフラーの、アルミの銘板のところに傷がつき、曲がっている。怒りが込み上げてきた。あんなところで夜明かしをしようとしたのは俺であるから、自業自得かもしれないが、当時はこれまたそんなこと露とも思わず、やはり昨日のやつを見つけたらぶちのめしたいという気分だけに支配されていた。

 川沿いを走っていると、ちょうど朝日を逆光にして黒い大きな影がみえた。城?。意表をつく建造物が視界に飛び込んできて驚き、この城はいったいなんなんだとあたりを見回す。やがて案内板のようなものが見つかった。なんとそれは、唯一の個人所有の城として、俺も当時名前だけは知っていた犬山城だった。

 日も高くなり、信州方面に行こうと、犬山城をあとにしてわけもわからずバイクを走らせる。

 そもそも地図も持たずにきた旅である。国道をずっと走っていけばなんとかなるだろうと、岐阜方面をめざす。しばらく走ると、道路の案内板からすでに岐阜市内にいるらしいことだけはわかった。当時の岐阜市内は、名古屋と比べるとおそろしく田舎に見えた。田んぼのまん中に岐阜警察署が見えた。はらわたが煮えくりかえっていたので、ゲームセンターの名前や昨日の奴らのクルマの車種やナンバーを記憶してはいた。昨夜の連中に報復するために被害届でも出してやろうかとも思ったが、警察がとりあってくれるとも思えず、やめておくことにした。

 岐阜市内で食事をとり、駅の裏手周辺の歓楽街を、好奇心からうろうろ。まったく、こんなところをうろつくから変な奴らにからまれるわけだが、当時は怖いもの知らずだったんだから致し方ない。

 そうこうしているうちに、恐ろしく眠くなってきた。昨夜のこともあり、徹夜で体調がよくないのでその日の信州入りはやめておこうと決めた。夕方まで郊外の本屋などに立ち寄ってぶらぶらして過ごし、公園で手のひらのバンソウコウを取り替えた。持参したカメラで、皮のむけた手のひらの写真を撮った。

 この日の宿は一宮市のビジネスホテルに確保した。夕方、岐阜から一宮に戻る最中、昨夜の一件があったゲームセンターが見えた。また怒りがわいてきたが、振りはらって宿へと向かった。
 泊まったのは、家族経営のこじんまりとした宿だった。チェックインすると、中学生くらいの女の子が入ってきた。宿の経営者の娘らしい。
 夕食と朝食が出るはずだったが、フェリーの中や旅先の宿で読んでいた岩波文庫版の「きけわだつみのこえ」を読もうとして横になった。ところがどっと疲れが出てしまい、布団も敷かずにそのまま寝入ってしまった。おかげて夕食を食べそこなったうえ、あっという間に翌日の朝がきてしまった。

 宿をチェックアウト。この時点で俺にとって信州はもうどうでもよくなっていた。いろいろあったし、長旅に嫌気がさしてもう帰る気でいた。行きとは反対のコースで神戸に向かう。帰り道は一気である。もう一度鈴鹿サーキットに立ち寄り、バイク仲間へみやげものを買ったこと以外、一切寄り道なしでぶっ飛ばす。

 フェリーターミナルからトラック甲板の隅にバイクを載せ、売店でビールを買って二等客室へ向かう。なにか退屈な気がして、荷物を調べると、あの戦没学生の手記を一宮の宿に置いてきてしまったことに気づいた。

 旅から帰ってきてからもう一度買った一冊が、今も手元にある。じつは、この本のなかのいくつかの心に残る個所は、この旅の中でみつけたものだ。旅愁から、宿で泣きながら読んだ個所もある。だから俺は、この本を語るために、このような長大なまえがきを書かねばならなかったのだ。ごめんね。

本題は次回のエントリにて・・・

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