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2005.07.27

Young Karl Marx

 今日は、マルクスについて書く。ある種の人びとには鼻で笑われそうだが、ちょうど瀬戸智子さんがマルクスについて書いておられたのにしっかりインスパイアされたのだから仕方がない。

木原武一「ぼくたちのマルクス」

 マルクスといえば、その文章が難解なことでも知られるが、この本は1994年刊行のマルクスの初歩的な入門書である。マルクスという人の生い立ちや、マルクスの思想における重要なキーワードのほか、マルクスの思想がバブル崩壊後の現代の日本にもつであろう意義についても平易な解説がなされている。学生に、マルクスについてなにかいい本はないかと質問されると、まずはこの本を奨めているのだが、若い人だけでなく、マルクスに再挑戦しようとしている大人たちにも是非読んでもらいたい好著だと思う。

 この本に紹介されているエピソードで興味深いのは、マルクスがロンドンに亡命し、大英博物館の図書館で膨大な文献を読んでノートに取る作業を地道につづけていた頃、詩人ランボーも、ロンドンに来てこの図書館を利用していたらしいということ。「およそ対照的なこの二人がことによるとすれちがったり、隣りあわせに座っていたりしたかもしれないなどと想像するのも面白い」と木原氏は書いている。当時詩人は17歳であった。

 17歳といえば、この本に紹介されている、マルクス自身が17歳のギムナジウムの学生であったときの言葉にも俺は惹かれるものがある。

「われわれは、人類のために最善の働きができる立場を選ぶなら、重荷のために挫折することはありえない。重荷は万人のための犠牲に過ぎないからである。そのときわれわれが享受するのは、貧しく狭い、利己的な喜びではなく、われわれの幸福は幾百万人のものであり、われわれの行為は静かに、しかし、永遠に生きつづけ、我々の遺灰は高潔なる人びとの熱い涙でぬれるであろう」

なかなか熱いじゃないか、カール青年。
こういうこと、今の俺にはちょっと書けないかもな・・・。
でも、そう信じた頃も確かにあった。

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2005.07.15

君死にたまふことなかれ

ねえ、ジョニー
あなたを 思うと 泣きたくなるわ
死なないで ジョニー
末っ子の あなたは
父さん 母さんに 愛されて
それは それは うらやましかった
でも 父さんは いわなかったわ
ひとを殺して、死ねだなんて
19歳まで 大切に
あなたを 育てた 母さんは
そんなこと けっして 教えなかったわ

ブルックリンの ふるい雑貨屋
あなたは その あとつぎ息子
おじいさんの名前を 受け継ぐ あなた
ぜったい 死なないで いてほしい
イラクが テロリストの手に 落ちたって
いえ落ちなくたって、どうでも いいわ
あなたより 大切なものは ほかにない

あなたは ぜったい 死なないで
あのひとは 戦いに 出て行かない
兵に 血を 流させて
イラクの砂漠で 死ねなんて
なぜ 戦いに いくひとを
あのひとは いつも胸張って 見おくるの
あのひとに やさしさが かけらでもあれば
何かを 感じられるでしょうに

ねえ ジョニー
砂漠なんかで 死なないで
戦闘の ニュースをきくと 父さんは
窓の外見て ためいきつくわ
そして かわいそうな 母さんも
なにかにつけて 泣いている
世界にひとりの あなたを失って
アメリカの 自由に何の 意味がある
母さんの額に 深いしわ

たったひとりで 泣いている
あなたの かわいい フェリシティ
あなたは 忘れて しまったの
半年も 一緒に いられなかった
いちずな 心を 思いやって
この世に あなたは たったひとり
いったい 誰が かわりになるの
ジョニー ぜったい 死なないで

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2005.07.12

宗教は阿片

 世にはさまざまな「神さま」がいらっしゃるようだが、残念ながら俺は宗教をまったく信じない人間であって、無神論者であると自称することは、むしろ誇らしいと思ってきた。これまでもこのブログで「神は不遜だ」と書きなぐったり、「神は悪である」と言った19世紀の詩人を引用してきたた。

 何度か書いたと思うのだが、「神が人間を創造したのではなく、人間が神を創り出した」という悪魔的で魅力的な考えがある。そして神は神の姿のまま我々の前に現れるとはかぎらない。時に熱烈な「愛国心」として、あるいは揺るがぬ「正義」として垂迹し、我々の前にあらわれる。
 また、神は非合理主義のばけものでもある。人間というものは、理解することのできない不思議なものを非常に恐れるから、その利用価値が失われぬかぎり「神」は繰り返し生産され、消費され、利用されつづけることだろう。
いつの時代も、現在の宗教をめぐる対立の根幹は、神の存在を信じる人々の集団が、互いの神を認めず、自分たちの神の名のもとに争っていることだ。それだけでも神の非存在の根拠となりはしないだろうか。

 マルクスは「宗教は阿片だ」と言った。俺もおよそそのように考えているが、無論旧ソ連のように宗教を抑圧すればいいなどとは思っていない。
 残念なことに、地球上の大部分の人々にとって、生きていくということは、そのまま不平等や貧困に苦しむことを意味している。阿片やモルヒネは末期がん患者の痛み止めに古くから用いられてきたが、それ自体では決して病状の回復につながることはない。しかも、ひどい依存性や常習性がある。
 しかし、神を信じるということが、がん患者を地獄のような痛みと苦しみから、ひとときでも解放してくれるようなものであるならどうだろう・・・。

 「世界から差別や貧困がすべてなくなれば宗教は存在意義を失う」という考えを今も俺は支持している。これは平和について語るとき、あちこちのブログでとりあげられるジョン=レノンの「イマジン」のなかでも歌われていることである。理想社会がどこかにあるならば、おそらくそこに神の玉座というべきものはない。わざわざ神を倒さずとも、差別や貧困、憎悪などをこの世界から葬ることによって、神に退位を迫ることができはしないか。

我々の、特に我々の科学の歴史とは、全能の神から、その権限を戦いとってきた歴史なのである。

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2005.07.08

もう暴力はいらない

 フランス革命がおこったとき、貴族たちは民衆が、なぜ自分たちに怒っていたのか知っていただろうか。見たこともない強烈な憎悪を前にして戸惑い、「贅沢はしていない。ただ普通に暮らしていただけ」とでもいっただろうか。また、9.11テロのときのアメリカ人は、どうだったのだろうか。

 怒りの理由を理解できないことは恐怖であり、悲劇のもとである。

 ブレアは、アフリカ諸国の救済を訴え、お膝元で開催されるサミットは世界の関心を集めてはいたけれども、オリンピックの連帯感も、チャリティコンサートの善意も、G8の「援助」も、物乞いする人々に貴族がなにかを施すようなものにすぎぬなら、本当に困難な状況にある人々には、「我々」の善意にかかわらず、本当の意味で理解されることはないだろう。

 今回のロンドンの一連のテロ事件を受けて「我々のイデオロギーは、テロリストのイデオロギーに勝つ」とブッシュは言ったけれども、勝つとか、負けるとか言ってるときではないのだ。この愚鈍な指導者の言葉を聞くといつも暗澹たる思いがする。
 武力でテロリストに勝っても、またテロリストは生き返る。ある意味テロリストは不死である。そして、彼らに永遠の生命の秘蹟を与えているのは、彼らの信じる神ではなく、我々自身なのだ。

 何度か書いているが、テロは、起こってしまったら終わりなのである。テロリストに道理などまったくないが、テロリストにテロを起こす口実を与えないことこそ必要だ。結局ブッシュやブレア、小泉はパレスチナからなにも学んでいない。G8の国の首脳々や、そこに住む我々は、いつのまにかフランス革命のときの貴族と同じ状況におかれているのではないかと思う。

 パレスチナ、アフガン、ファールージャ、ニューヨーク、ダルフール、ロンドン、すべての暴力に犠牲になった人々のために、平和を祈る。

しかし、祈るだけではだめだ。ではどうしたらいい?

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2005.07.02

「きけわだつみのこえ」 その3

その3

 今日こそは本題に入ろう。日本戦没学生記念会編「きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記」(岩波文庫)の中から、こころ惹かれた部分をいくつか紹介させていただく。

★佐々木八郎
  東大経済学部生 1945年4月14日、特攻隊員として沖縄海上にて23歳で戦死

「我々がただ、日本人であり、日本人としての主張にのみ徹するならば、我々は敵米英を憎みつくさねばならないだろう。しかし、僕の気持ちはもっとヒューマニスチックなもの、宮沢賢治の烏※と同じようなものなのだ。憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ。正直な所、軍の指導者たちの言う事は単なる民衆扇動のための空念仏としか響かないのだ。そして正しいものには常に味方をしたい。そして不正なもの、心驕れるものに対しては、敵味方の差別なく憎みたい。好悪愛憎、すべて僕にとって純粋に人間的なものであって、国籍の異るというだけで人を愛し、憎むことは出来ない。もちろん国籍の差、民族の差から、理解しあえない所が出て、対立するならまた話は別である。しかし単に国籍が異るというだけで人間としては本当は崇高であり美しいものを尊敬することを怠り、卑劣なことを見逃すことをしたくないのだ。」

※引用者注
 宮沢賢治の烏と山烏の戦争を描いた物語「烏と北斗七星」に登場する烏のこと。手記の前段には、主人公の烏の言葉が、賢治を敬愛した佐々木氏によって引かれている。敵である山烏を倒し、死骸を葬りながら言う。「ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなど何べん引き裂かれてもかまいません」と。
 ちなみに文中の「マジエル様」とは、北斗七星のこと。主人公の烏は北斗七星をそう呼ぶ。この作品は「注文の多い料理店」所収だが、現在では「青空文庫」でオンラインにて読むことができるので、興味ある方はぜひ読んでみてほしい。

※追記
 「烏と北斗七星」を取り上げたサイトはいくつかあったが、こちらのサイトでは、この作品のテキストににイラストを配置し、オンラインで読める絵本のような体裁にされていて興味深い。
 こちらのサイトだと、縦書きで読めるようになっているらしいのだが、残念ながらLinux+Firefoxでは縦書きで表示することができなかった。WindowsのIEだとうまく表示できた。


 そういえば、やけにたくさんコメントのついた愛国心についてのエントリに対するコメントのなかで、中国のやったことには無批判だとかいろいろ書かれた方がいたが、そういう意味で反論にかえて、俺の自分の学生時代の最後の年に起こった、天安門事件への思いを記しておく。
 「人民解放軍」は「インタナショナル」を歌う非武装の学生たちさえ、戦車で蹂躙した。当時まさに同じ学生だった俺は、友人が書き上げたこの事件を糾弾するビラを、学内や街で怒りをもって配ったのをはっきりと覚えている。

「正しいものには常に味方をしたい。そして不正なもの、心驕れるものに対しては、敵味方の差別なく憎みたい」

 俺もかくありたいと、心から思う。


★中村徳郎
  東大理学部生 1944年フィリピンで行方不明。25歳

(1943年)4月28日
「穂高の岩場ですんでのところで死ぬべかりし命、しかもそれは結局4年とはもたなかった※。色々とあの晩のことが思い合わされる。恐らく彼もまた戦車の中に屍を埋めたのではあるまいか。私の生活に切実に近似した、遠いけれども迫った事象ではある。」

(1943年)5月15日
「そういうことを考えると、またしても歴史を読みたくなる。広く深く私たちは歴史を探って見なければならぬ。そうすれば必ず他愛ない自己礼賛や自己満足の夢に耽っておられなくなるはずだ。この夢ほど国を殆くするものはない。自惚れた国で興隆した国はない。」


※引用者注
 山を愛した中村氏は、かつて北アルプス穂高連峰で遭難死しかけたドイツ人青年、カールビルスを夜を徹して救助したことがあった。しかし中村氏は、そのドイツ人青年が上等兵としてスターリングラード攻防戦で戦い命を落としたことを、知人に知らされる。その中村氏も、ドイツの友人のあとを追うように翌年フィリピンの奥地に消えていった。
 どういう因果か、現在俺は生徒や学生に歴史を講義する身であって、中村氏の言葉は常に俺の胸の奥底にあり、一種の道徳規範として作用している。


★山根明
  東大文学部社会科学科学生 1945年7月、華南長沙にて戦病死。

昭和18年(1943年)10月11日
「一体私は陛下のために銃をとるのであろうか、あるいは祖国のために(観念上の)またあるいは私にとって疑いきれぬ肉親の愛のために、更に常に私の故郷であった日本の自然のために、あるいはこれら全部または一部のためであろうか。しかし今の私にはこれらのために自己の死を賭すると言う事が解決されないでいるのである。二年前の今頃のように死の恐怖に襲われて真夜中に起き出して鏡に映った自分に死の影を見出していた頃ならば、そしてその唯一の救いの道として私が選んだ殉教者の道に憧れていた頃ならば、ただ命を投げ出すという事のためにだけでも喜んで飛行機に乗り潜水艦にも乗ったと思うのだが、先日亡くなった老作家のように、「自分のようなものでもどうかして生きたい」と言う感じを持っている現在の私にどうして銃を持って戦線に赴くことができるのだろうか。灯を消して部屋の窓からますます冴えきった十三夜の月をながめ、凍りついた雪のような白い夜の雲を見ていると私の飛行機へのろうとしていた覚悟が実際夢のように思われる。」

※引用者注
 俺にとって「愛国心」という言葉がどのような意味をもっているのかということは、かつてエントリとして書いたことがあるのでここでは再び書かないが、戦場で死んでいった兵士にとっても、あるいはおぼろげなものにすぎなかったのかもしれない。

「きけ、わだつみのこえ」に収められた手記は、偏った思想をもった一部の学徒のものであり、当時の一般的な出征学徒のメンタリティを反映していないなどと批判する者もいる。しかし、ここに手記を残した彼らは、かつてこの国のはじめたあの悲惨な戦争において、ただ一兵士として戦い、死んでいくことを自覚しつつ、あえてこれらの手記を書いたのである。想像力ある人なら、色眼鏡なしにこれらの手記を読んでみていただきたい。

 個人的には、彼らの魂は決して東京・九段のあの場所にはいないと思っている。

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2005.07.01

「きけわだつみのこえ」 その2

その2

 さて、前回のエントリは一体なんだったのかという疑問もおありだろうと思う。じつは、俺にとって、読もうと思った本をいつどこで読むかということは結構重要であったりする。

 高校の修学旅行のさなか、列車の中で友人と騒ぐのにようやく疲れたころに読んだ、ランボー「地獄の季節」。志望大学を決定するべく迷っているさなかに読んだ奥浩平「青春の墓標」や高野悦子「二十歳の原点」など学生運動活動家たちの手記。80年代の学生にはもはや政治の風はまったく吹いていなかったんだけれど、少なくとも俺は進路についての打算からの学問ではなく、見者となって世界を見わたせるような学問をやりたいと思っていた。なにしろ若い頃は時間は無限にあるように考えられ、なんでも学びことができ、なんでもできそうな気がしていた。時間が無限にあるわけじゃないことは、大滝詠一の歌ではないが、年齢を重ねなければわからない。次第に時間が惜しくなってきている今日この頃である。

 チェ・ゲバラではないが、バイクという名の、何処へでも(望みさえすれば地獄にさえも)行ける相棒を得た学生時代の俺にとって、あのちょっとした冒険旅行にさえ、自分がいまここで確かに生きているのだということがおどろくほど実感できた。まして戦車や戦闘機に乗り、戦火に散っっていった、当時の俺と同じくらいの年齢の若い学徒たちが、戦場という極限の場所で、自らの生と死にどう向かい合ったのか想像するにも余りあった。旅先でこれらの手記を読んで、旅愁もあってひとり涙したのを覚えている。前回も書いたように、当時携帯した岩波文庫版のそれは、旅先でなくしてしまったのだが・・・。
 ゆえに、俺は自分の学生時代というバックグラウンドなしに、この手記を思い出すことはできないのだ。

 ごめん、次回こそは、本題に入ろう

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