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2005.12.12

ドレイクの方程式

 BANYUUさんのブログ「裏・21世紀の歩き方大研究」の「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由、を読んで」というエントリを拝読し、「ドレイクの方程式」のことを思い出した。
 ドレイクの方程式とは、アメリカのフランク・ドレイク博士が1960年代に発表した「宇宙に知的生命体がどれくらい存在するか」を推定する有名な方程式である。

N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L

N 我々の銀河系に現存する地球外文明の数
R* 我々の銀河系で形成される恒星の数
fp 恒星が惑星系を有する確率
ne 1つの恒星系で生命が存在可能な惑星の数
fl 上記の惑星で生命が実際に発生する確率
fi 発生した生命が知的生命体にまで進化しうる確率
fc その知的生命体が星間通信を可能とする文明を獲得する確率
L 星間通信を行うような文明の推定存続期間

 コーネル大学でドレイク博士の同僚だったカール・セーガン博士の「コスモス」を読んでこの方程式を知ったのは、中学生のときだっただろうか。当時は米ソ冷戦のさなかで、核戦争の危機はすぐそこにあるかのようだった。

 情緒的には、文明が自滅せず長続きしていれば、いつか異星の知的生命体とコンタクトすることもあるだろうと思いたい。人類がまだ他の惑星の知的生命体と出会わないのは、まだ地球人類は知的生命としても技術的にも未熟だからなのだと。
 しかし言い換えれば、自滅してしまうような文明は、宇宙にあふれている他の生命と出会う資格はないということでもあるわけだ。いつまでも孤独で、いつまでも同族同士の殺し合いばかりやっている地球人類は、「文明とは、結局自滅していくものだ」ということを実証する無数の例のひとつになりはしないだろうか。このことを考えるといつも慄然とする。

 セーガン博士は、この方程式の「宇宙に存在する文明の多いか少ないかを決定付ける要素は、文明の存続期間(L)である」という点を強調し、核戦争による人類の滅亡を警告する一方で、知的生命体を探す壮大な試みとしてのCETI(のちのSETI)を提唱した。

宇宙人に会いたければ、戦争をやっている場合ではないのである。

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2005.12.01

九州国立博物館を探訪

 さて、11月に入って、週末の休みは講習会のためになくなり、かわって月曜日が休みとなった。ちょうど同僚講師から九州国立博物館の開館記念展「美の国日本」の入場券を頂いたので、休みを生かしてドライブがてら見に行ってきた。なんと期間内無休ということなので、すこしでも人が少ないときに行こうと、あえて週末をはずし11月13日の月曜日に行ってきたのだが、見事に目論見は外れた。バスツアーのお年寄りや修学旅行生がたくさんいて、めちゃくちゃ人が多いじゃん。

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 博物館の外観は、こんな感じ。巨大でモダンな建築だが、まわりは森なので全景を見渡すことはなかなかできない。とにかく京都や奈良の国立博物館とはまったく違う未来的な雰囲気だ。これって本当は森の中にあるより街の中のほうが映えるデザインなんじゃないかな。

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 内部を見た感想は、巨大な格納庫に無骨な博物館がすっぽり包まれているような異様な感じ。なかなか他にない特徴ある建築だとは思うんだけど、なんだか巨大な万博のパビリオンみたいだ。ふんだんに使われたヒノキ材の匂いが香る館内。

 およそ3時間くらいかけて、企画展と常設展すべての展示を見る。トイレや休憩スペースも各所に配置してあるし、展示そのものはすごく興味深いものだった。惜しむらくは、狩野永徳「唐獅子図屏風」が見られなかったこと。展示期間がなんと俺の行く前日までだったらしい。でも雪舟「四季山水図・冬」や「花下遊楽図屏風」なども見ることができてよかった。

 常設展のアジア関連の展示も非常に興味深く感銘を受けたので、企画展がないときも退屈することはないだろう。


 軽食スペースにも、ミュージアムショップにも、とにかく、博物館という空間にあんなに人がいるのをはじめて見たよ。でも、例のパビリオンのような建築のおかげで(笑)なんだか違和感はなかったね。

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