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2006.06.20

「四日間の奇蹟」 ~角島へ~

 月曜日に山口県下関市(旧豊北町)の角島に行ってきた。どうせ行くならなら女性の友人でも誘えば楽しかろうが、今回はそういう根回しはなんにもできなかった。そもそも、平日の休日にめずらしく早起きしてしまい、ヒマだから角島にでも出かけようと、まったく唐突に思いついたのだから致し方ない。ひとり気楽に出かけるしかなかった。ゴンチチの"Strings with Gontiti"とボサ・ノヴァのオムニバス。2枚のMDを聴きながら、よく晴れた海辺のR191を流した。窓から差し込む日差しは、時折肌に痛みさえ感じるほどだったけれど、それもなんだか心地よかった。

Bridge

レクサスGS450hのCMでもおなじみの角島大橋
(映像の終わりごろに登場)。

Bridge2

 美しい曲線を描く橋をわたり角島にはいる。エメラルドグリーンの海はまるで南海の楽園を思わせ、ここが山口県であることを忘れてしまいそうだ。

Sea

 じつはこれまでにも2回ここへ来ている。はじめて角島を訪れたのは3年ほど前で、2度目はつい先月だ。クルマ好きな友人たちとつるんでのツーリングで、海の幸を食しようと久しぶりにこの島を訪れたのだが、そのとき行った仲間に、この島でロケが行われた「四日間の奇蹟」という映画について聞かされ、島に残る教会のセットなどを見てまわった。
 角島から帰るなり、DVDを借りてきてこの映画を見てみた。唐突にもういちど角島に行ってみたくなった原因はこれ。

Toudai

Cotage

Chapel

 映画に登場した福祉施設の宿舎は、じつは島のキャンプ場のコテージ群で、教会のセットは、キャンプ場利用者用のトイレに改装されていた。このセットは映画の撮影終了後も3年間保存されることになっているらしい。映画が公開されてからおよそ1年たっているが、島の観光客向けのおみやげを売るお店には、今もなお映画の宣伝ポスターが張ってあるところがいくつもある。期間限定ではあるものの、いわば新しい観光名所ともなっている。この日は月曜日だったので、訪れる観光客も少なく、角島大橋もロケ地周辺も灯台公園もなんだか閑散とした印象だった。映画は冬の角島でロケされたが、今は初夏。映画に描かれなかった角島の四季もまた見てみたいものだと思った。午後5時くらいまでのんびり過ごしたが、まもなく夏至を迎えるころで、日は長く、海に沈む夕日を見られなかったのは少々心残りだったが。

 俺は日本の映画はあまり見ないほうなのだが、佐々部監督の映画はひと月ほど前にNHK BS2で放送された「チルソクの夏」を見たばかりだったので、ちょっと興味を引かれていた。「チルソクの夏」は1970年代を背景に、韓国人男子高校生と日本の女子高校生の恋愛を扱った映画で、こちらも下関が舞台だった。かつて韓国は近くても遠い国だったが、当時から下関はどこよりも韓国に近かったのだ。劇中にも、下関を出航する関釜フェリー登場していた。聞けば佐々部監督は下関の出身だという。

 じつは「四日間の奇蹟」について、ベストセラーになったという原作も含め、俺はまったく知らなかった。DVDに特典映像として収録されていた映画の予告のテレビスポットで見た、主人公が手を血まみれにして叫んでいる映像や、平原綾香の歌う主題歌には微かに覚えがあったけれども。
 全編を通じて、ショパンやベートーヴェン、ドビュッシーのピアノ曲をはじめ、心を揺さぶる美しい音楽が流れる。そして主人公を演じた吉岡秀隆をはじめ、ヒロイン役の石田ゆり子も、西田敏行や 中越典子も、愛すべき魅力ある人物を好演している。この映画に出てくるのは本当に心優しい人ばかりで、そこらへんが俺のようなヒネクレ者には何となく納得のいかないところであるし、超常現象が出てくる映画はそもそも好きではない。 にもかかわらず、この映画のことが印象に残るのは、ヒロイン石田ゆり子の美しさと、もうひとりのヒロインの少女を演じている尾高杏奈の演技があまりに素晴らしかったからに他ならない。俺は奇蹟を信じることはないけれど、奇蹟を信じたい人の気持ちは理解しようと思う。人が心から癒されるためには、せめて虚構の世界の奇蹟を必要とするのだろうか。先月初めて見たときにはなんとも思わなかった教会のセットも、映画を見てから再び目にすると、やはり何かしら感慨を覚える。

 俺が無神論者だいうことは、このブログで何度か書いてきたことである。俺が6歳のとき父は白血病で死んだ。神や仏の違いもわからぬままに、父の病気が治ることを祈ったものだった。そんな幼い願いなど、神には結局届かなかったし、父は決して生き返ることはなかった。以来、俺はいかなる神も信じたことはない。
 父の臨終のときのことを、今でもたまに思い出すことがある。父の病室に親類があつまり、末期が近いときに、俺と幼い弟はなぜか病室から連れ出され、アイスクリームを与えられた。俺は父がもうすぐいなくなるということを本能的に感じ取っていた。そして、俺がアイスクリームを食べているまさにそのとき、父は逝った。

 思春期になると、俺は身の回りにあるちょっとした神秘主義にも噛み付き、攻撃し、悪態をついた。正直に告白すれば、天罰を下せるものなら下してみろと、誰もいない神社の境内でわざわざ立ち小便をしたこともある。
 そして神だけでなく、神や仏を信じる人々も許せなかった。星占いなんぞにうつつを抜かすクラスの女の子たちをさんざん馬鹿にしたし、幽霊を信じる友人を罵倒した。法事に来る坊さんの説法がはじめるとさっさと退室した。当時の俺はまったくもって嫌な奴である。

 今はさすがに歳をとったのか、人間も丸くなり、信仰を持つ人のことを少しは理解しようと考えているが、俺にとっての神は未だこの世界のどこにもいない。

 余談だが、母によると、俳優の平田満は父に似ているんだそうな。この映画にも出演しており、脳科学研究所の所長の役をやっている。俺の記憶の中にある父の面影は、別に平田満とダブったりはしないのだが、そう言われてみると、実家にある父の遺影もなんとなく平田満と似ているような気がしてくる。母はどのような気持ちで映画やテレビに登場する平田満を見ているのだろうか。

Car

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