2006.07.14

マルセイユの英雄に何が起こったのか

 ここ数日、ずっとジダンのことを考えている。ピッチを去っていく彼の背中が忘れられない。あの慎み深い彼をあのような行為に駆り立てたものは、いったいなんだったのだろう。家族について口汚く罵られたのが原因だというが、実際のところはまだよくわからない。おれ自身、子どもの頃家庭環境を揶揄され、たまらず相手をぶん殴ったりした経験もある。(無論、事態はさらに悪いほうへ進んでしまったが)。だから、彼の心の痛みは少しはわかるような気がする。決して暴力は容認するつもりはないが、マテラッツィの差別的発言が事実なら、彼にもペナルティが課せられてしかるべきだろうと思う。

 今回のワールドカップでは、試合前に各チームの主将が「私たちはあらゆる人種差別に反対します」とメッセージを読み上げていたが、そのワールドカップの決勝の舞台にすら、民族差別の影を見ることになったのは残念なかぎりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2005.09.30

阪神タイガース、優勝。

一生のうちにセリーグの優勝を
なんと3度も見られるなんて
俺はなんて幸せなんだ

20年前のようにはしゃぎもせず
2年前のようにどきどきもせず
淡々と優勝を迎える、この感覚
今日は仕事をしてたんだけど
今日には決めると信じてた
ジャイアンツに勝って地元で決めた

交流戦を伏線に
かつてない読めないシーズンが過ぎた
その足音になんども緊張させてくれた
昨年の覇者、中日ドラゴンズよありがとう
古田監督のもと、手ごわい敵となるだろう
ヤクルトスワローズよありがとう

横浜ベイスターズよありがとう
広島カープよありがとう

そしてあの知将も戻ってくる
永遠のライバル
読売ジャイアンツよありがとう

そして大いなる夢を見せてくれた
われらが阪神タイガースよありがとう

そして王者ソフトバンクホークスよ
はやく勝ちあがってきてほしい
2年前の雪辱は
必ず晴らしてやるからね

あの日のドームの悔しさを
阪神ファンは、だれひとりとして
わすれちゃいない

ああ、いつまでも
野球の夢をみていたい

| | コメント (5) | トラックバック (5)

2005.09.16

久しぶりに、タイガースについて書く

 久しぶりに阪神タイガースのことを書こう。今年は2年ぶりにまた優勝してもいいのかな?・・・と、長年のファンとしては、あくまでも控えめにそう思っている今日このごろだ。

kosien3

 最近このブログでは、このひいきの球団のことについて書くことがほとんどなくなってしまっていたのだが、とあるサイトで面白い分析をみつけたので、それについて思うところを書こうと思う。

「18年前の1985年に阪神タイガースは驚異的な快進撃で優勝し日本シリーズを制覇した。この年臨時教育審議会の第1次答申が出され、日航ジャンボ機が墜落して520人が死亡し、コロンビア火山の大噴火で25000人が死亡した。2003年阪神の優勝は動かしがたいが、イラク戦争にともなう有事法制・特措法によって日本が大きく戦争国家へと転換する年となった。阪神が優勝する年はよくないことが起こっているのだ。つまり大衆の不満と怨念が極限に達して噴出するときに、そのトラウマを吸収し爆発する形で阪神はブッチキリで優勝するのである。さらに地球の温暖化が気候変動を誘発し天変地異が起きる年に阪神は優勝している。時代の心情を最も激しくストレートに突きつけるのが関西人であり、阪神は革命の根拠地である関西地方を象徴する時代の変革期を予告する球団なのである。」

名古屋市立大で地域経済論を教えておられる荒木國臣先生のサイト
「荒木 國臣のページ」より。

kosien2

 このサイトは、興味深い観点から映画や芸術の批評がなされているので、俺自身幾度となく訪れていたサイトだ。しかし今回この記事を発見したのは、さわやか革命さんの「ひねくれ者と呼んでくれ」というブログを読んでいたところ、このサイトのまったく別の箇所の記事へのリンクが張ってあった記事があり、リンク先を参照しにいったことに始まる。しかし阪神ファンの性で、リンク先の記事とはまったく別の箇所にある「阪神タイガース」という言葉に反応してしまったわけだ。まったくもってトホホである・・・。

 この記事は、読めばわかるように、2年前の2003年、阪神が18年ぶりのセントラル・リーグ優勝目前であったころに書かれたものだ。

「ところが今次阪神の優勝はいままでの循環型発展周期を攪乱する時代の混迷期にある点が従来の法則と大きく食い違っている。この平成大不況の出口は全く見えず、最悪の場合は循環そのものが否定される恐慌期に瀕しているという説もある。不況の次には過剰生産が廃棄されてふたたび好況期が来るという図式が崩壊しているのではないかという深刻な危機にあるからだ。ということは、いままで1度の優勝で力を使い果たして次の年は最下位に転落してきた阪神球団という図式も崩壊しつつあると云うことだ。結論的には阪神球団の優勝は単年度ではなく、しばらく続くかAクラスという状態に変化することが、かなりの確率で予測される。これは阪神フアンにとっては歓喜の極大化であるが、日本全体にとっては致命的なプロ野球の存続に係わる事態だということになる。」

 おもしろい分析だ。今年もいろいろ事故による大惨事や内外での天変地異もあった。「阪神が優勝する年はよくないことが起こっている」というのは、まったくのまちがいでもなさそうだ。また球界の現在の状況などは、不思議なくらい予測があたっていて、一般大衆に対してもなんだか説得力がありそうにさえ思える。

「阪神が優勝する年はよくないことが起こっている」なんてことをこのブログで書くと、まるでエセ科学か非合理主義に転落したような気がして、多少後ろめたい気もしているのだが、いちお唯物的あるいは科学的批判精神をかなぐり捨てたつもりはないので念のため・・・。

 このエッセイを書かれた荒木先生は、2003年9月17日の朝日新聞夕刊に掲載された、阪神タイガースという球団をニーチェ的に分析した記事を批評して、以下のように書いておられる。俺自身はその記事を読んでいないので、批評対象としているそのもの記事についてはよくわからないが。

「ニーチェの積極型ニヒリズムはファッシズムの思想的根拠を提供しナチズムの悪夢を招いた。阪神もファッシズムを準備する危険性があるということになるぞ。実際の阪神は反権力であり民衆の権化だから、やはり宮原氏の阪神=ニーチェ論は間違いなのだ。」

 ううむ。阪神ファンとして、またできるなら常に反権威の立場に立っていたい者として、この反論はとても心強いが、一抹の不安もある。九州から幾度となく馳せ参じた甲子園球場で感涙に咽び、あるいは2年前の福岡ドーム(当時)で負けヤケクソな気分になって「六甲おろし」を歌っていたときの、俺自身の心理状態について思い返すと、疑いのないものと確信していた俺自身の思想的立脚点すら見失ってしまいそうな、そんな不安に駆られてしまう。

 この度の選挙の結果は、この国にファシズムの到来を予感させるに十分だった。自分が阪神タイガースファンであることを自覚している身としては、ここではたと考え込んでしまう。
 以前書いたこんな記事に、 こちらからトラックバックしたpfaelzerweinさんという方から「「試合を応援するときの高揚」と「苦痛から解放されたよろこび」に共通点が無いだろうかと思い当たりました。」というコメントをいただいたことを思い出し慄然とした。

kosien

 はたして俺にタイガースを熱狂的に応援させるのは、小泉自民党に喜んで投票するある種の人々と同様の刹那的な動機なのだろうか、それとも、へそまがり的で反権力な志向のなせるわざか。自分自身は後者であると信じていたいのだが、ひょっとすると俺のなかにも、なにやら不気味なニヒリズムが蠢いているのだろうか。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2004.10.23

オートポリス

 サーキット場を売却へ 大分県上津江村が合併で

 小泉政権のすすめる「三位一体の地方制度改革」なる市町村大合併の影で、またひとつ寂しいニュースだ。大分県日田市との合併が決まった上津江村は、カメルーンチームのキャンプ地で全国的に知られた中津江村の隣村だ。ここの村営サーキット、オートポリスがついに売却されることが決まったらしい。
 バブル時代に華々しくオープンした国際格式の巨大なサーキットは、運営会社の破綻をへて管財人による運営に移り、さらには村へ固定資産税がわりに無償譲渡されるなど、数奇な運命をたどってきた。近年は二輪、四輪ともに国際格式のビッグレースも行われるようになって喜んでいたんだけど、やはり人口1000人あまりの自治体による運営は限界があったのだろう。そして日田市に持参する土産にしてもあまりに巨大すぎる代物だ。

 オートポリスが村営サーキットとなった1996年以来、わずかばかりの支援のつもりでコースライセンスを取得して以来8年間、わが愛車にてスポーツ走行を楽しんできた。本格的なコースであるわりにライセンス取得にかかる費用は非常に安かったこともあるけどね。
 パドック内のドライバーズサロンは、本来の目的からはおおきくズレてはいるが、来場者にとって安心してくつろげるところだった。上津江村のおばさんたちが作ってくれる食堂の食事は、意外なほど豊富なメニューで、なにを頼むかにかかわりなく、もれなく暖かい味噌汁がついてくる。またオートポリス感謝祭にはほとんど村中の人が参加して和気あいあいと運営していた。そんな雰囲気がすごく好きだった。日田市と上津江村が合併するという話を聞いて以来、このような日が来ることをうすうす予想はしてはいたけれど、やはり残念だね。今後、売却されて経営がどのようなところに移るのかは不透明だけど、せめて現在の親しみやすい雰囲気だけは残してほしいなぁ。

 少し前の「ニュース23」の「多事争論」で、筑紫哲也が、出身地でもある大分県の、消え行く自治体の名を挙げ、あいつぐ自治体の合併に疑問を呈していた。これまた筑紫哲也らしく、今ごろになって何をいまさらとは思うのだが、大山町、中津江村、湯布院町。ちょっとした休暇には俺もよく訪れるところばかり。

 日田市内から大山町、中津江村を抜けると上津江に至る。個人的には津江のわさびや木耳の佃煮を大のひいきにしており、ときどき調達に行くこともある。中津江村ではいまもカメルーン国旗をあちこちで見ることができる。チームの宿泊地となったスポーツセンターを訪ねると、不滅のライオンを称える地元の木材で作られた記念碑がある。そしてチームの等身大のパネルもあって、エムボマや今は亡きマルクビビアン・フォエがにこやかに笑いかけている。観光地などによくあるように、まんなかに穴があいていて、そこではチームと一緒に記念撮影をすることができる。

 これまでに数回も、中津江村で肉を調達し、仲間たちと上津江村のサーキット内のロッジにて宿泊しビールと焼肉を楽しんだ。忘れられない思い出のひとつだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.08

選手会のストライキ

 無闇に年俸をあげてくれといってるわけじゃなし、このストライキもプロ野球界の新たな時代のためにはあってもいいだろうと思うよ。古田選手をはじめとする選手会の立場は理解できる。というより、いち野球ファンとしても他に方法がないようにさえ思える。たとえ、その先になにがあるのか俺のような凡人には見通せなかったとしてもだ。
 長らく国民的スポーツの頂点に位置してきたプロ野球は、リーグや球団の運営陣がその人気にあぐらをかいてきたことは否めない。おそらくプロ野球界の構造的な問題なのだろう。サッカーのJリーグに比べても、このプロスポーツはさまざまな意味で硬直しているように思える。もっとも、プロスポーツとは所詮このような性格のものなのかもしれないが。

 そういえば、小泉首相が、選手会のストライキのことを訊かれて、「これじゃますますメジャーリーグのほうが面白くなる。イチローは5打席5安打だ」なんてコメントしていたのをテレビで見た。この国の宰相のコメントとしては非常に情けない思いがした。もっとも、アメリカのポチである小泉首相にはそのほうが好都合なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2004.08.22

スポーツを見るよろこび

 オリンピックは楽しい。スポーツの持つ難しさ、面白さを再発見させられる。見ているほうまで一緒に闘っている気がしてくる。彼らの話す言葉(当然日本語だ)からメンタリティや彼らのバックグラウンドを容易に想像できるから、われわれは日本人選手に感情移入できる。偏狭な愛国心でなく、メダルの数や色でもなく、こんなふうに他人に素直に感情移入できることこそスポーツを見るよろこびなのだと信じたい。

 今日の全国高校野球の決勝もまた希に見る熱戦だった。メダリストや高校球児の活躍に刺激されて(?)、自分がやっているスポーツにも熱がこもる。とはいえ、わが疲れた肉体はアスリートのそれではなかった。昨日は週例バドミントンで、自分の汗に滑って転び、手首をひどく捻挫してしまった。だんだん腫れてきてつらいものがある。車を運転するのも難儀しているが、明日からどうしたものだろう・・・。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.06.21

ポディウムの夢ふたたび

 F1GPでB・A・R Hondaの佐藤琢磨がアメリカGPで3位入賞。1990年の鈴鹿での鈴木亜久里以来、14年ぶりの快挙を成し遂げた。

 そうか、あれからもう14年もたったのか。14年といえば、現在F1を走っているすべてのドライバーがまだデビューしていなかったころだ。いまや皇帝と称されるミハエル・シューマッハーでさえ1991年のデビューだから、日進月歩どころか秒進分歩のF1界にあってははるか大昔の話だ。

 14年前、バブル経済のなか日本は空前のF1ブームの只中にあった。当時は第2期ホンダエンジンの全盛期で、セナやプロストがチャンピオンシップを争っていた。鈴木亜久里はローラのシャシーにランボルギーニのエンジンをつんだエスポ・ラルースというチームにいた。セナとプロストが2年越しの因縁で第一コーナーの砂塵に消えたあと、1位と2位に入ったのはベネトン・フォードのピケとモレノ。ブラジル人師弟コンビだ。

 当時の日本はバブル全盛期で、エスポもレイトンハウスもフットワークも健在だった。日本のバブル紳士は競ってF1に投資し、その潤沢な資金をバックに日本人のF1チャンピオンの誕生もそう遠くないと思わせたものだった。このレースでは日本人初のF1ドライバー、中嶋悟も5位に入賞した。若い亜久里に先を越された中嶋には悔しさがにじんでいたのを覚えている。

 しかし、それから十数年、バブル崩壊とその後の日本経済の沈没の中で、日本人のF1フィールドでの活躍はあまりみられなくなってしまった。F1に投資した人々にはF1界だけでなく実社会からもほとんど姿を消した人々もいる。そして日本からのスポンサーマネーが充分に得られなくなった日本人のF1パイロットたちは、一時はまったくいなくなってしまったこともあった。一時的には驚くべき速さをみせたこともあるにもかかわらず、中嶋や亜久里はもちろん、片山右京にしても高木虎之介にしても、優勝はおろか、表彰台に立つことすらはできなくなってしまっていた。

 昔話はこれくらいにしよう。

 今日、インディアナポリスで佐藤はついにやってくれたよ。またもや前には同じチームの2台が前にいて、うちひとりはブラジル人だけれど。

 ほとんど最後尾からのスタートであったヤルノ・トゥルーリやファン・パブロ・モントーヤの走りも素晴らしかった。トヨタのパニスもいぶし銀の走りで好成績を収めたと思う。しかし、誰よりも誰よりも速かった佐藤がいちばんかっこよかった。ポディウムに立った3人へのインタビューに英語で答える佐藤を見て俺はなんと誇らしかったことか。バブルとは無縁のアスリート佐藤。ポディウムでは優勝したシューマッハのためのドイツ国歌と、バリチェロの故国ブラジルの国歌は流れたが、「君が代」は流れなかったみたいだね。

 次はもう、ポディウムの中央に立つしかないだろう。彼ならきっとやってくれそうだ。かつてWGP(現MotoGP)を席巻した日本人たちのようにね。

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2004.05.09

普通の市民が悪魔にかわるとき

 8日は午後から週例のバドミントンにでかけた。今年度からわりと本格的な練習に入ってきているが、だんだん体も慣れてきた。しかし気温が高くなるにつれ汗もたくさん出るようになってしまった。そろそろウェアにも着替えがないともたない。水分の消費も多いようで平気で1リットルくらい水やスポーツドリンクを飲んでしまう。

 BS1で阪神対中日戦を見た。藪と川上憲伸の息詰まる投手戦だったが、9回裏、川上から金本がサヨナラホームランを打ってタイガースが1対0でサヨナラ勝ちした。俺は阪神ファンだが、あの負け方ではちょっと川上がかわいそうだったな。
 タイガースが勝って安心したので、しばらく部屋で居眠り。スポーツ後の心地よい疲労感はいい。眠くなってうつらうつらしているときなどはとくに気持ちよい。身体のもつ疲労からの回復機能を感じる瞬間だね。

 しかし、TBS系のニュース「ブロードキャスター」で、イラクでの米軍兵士による捕虜虐待の写真や、昨年イラク戦争終結後にもかかわらず、夜間に米兵が民間人を意味もなく撃ち殺すところを赤外線撮影した映像を見せられて、しっかり現実に引き戻された。前者はこれまでネット上や新聞などで目にしていたが、後者の映像は、俺にとってかなりショッキングな映像だった。逃げ惑い、機関銃で打ち倒されるイラク人。射撃を行った米兵と上官のやりとりの音声つきだ。吐き気を催す。

 イラクで捕虜を虐待を行ったとして訴追された兵士の家族は口々に言う「彼(彼女)は普通の善良な市民なんだ」と。きっとそれは彼らにとって真実なんだろう。しかし、戦争という極限状況は「普通の市民」をいとも簡単に「悪魔」に変えてしまう。俺はそれだけでも絶対的に戦争に反対する理由になりえると思うよ。上官の命令や個人的な憎悪は、そんな「善良な市民」にも人を殺すのに十分な理由をいとも簡単に与えてしまうものなのだろう。このことは、あの20世紀を生きてきた人類ならばよく知っているはずなのだが。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2004.04.21

がんばれマラドーナ

 マラドーナが急性高血圧で重体に陥ったというニュース。原因が薬物によるものかどうかはわからない。大丈夫かマラドーナ。最近はキューバなどで薬物からの脱却をはかる治療を受けていたということは聞いていたのだが、超一流のサッカー選手だった男がよりによってサッカー場で倒れるとは・・・。

 報道されている病名が正しければ俺が2000年に緊急入院させられたときと同じ病名だ。そのころの俺は体重が急に減り、鼻血を頻発し、血尿もあった。また眼底出血で目が見えにくくなり運転も満足にできないうえ、朝から猛烈な頭痛と吐き気で仕事に出かけるのも必死という状態だった。そんなに急に血圧が上がるなんて予想もしていないのでまったく原因不明だった。

 俺は奴と違って薬物なんかやってないけどね・・・・。

 生来の病院嫌いもあり、同僚から厳しい忠告を受けても通院を渋っていたが、症状が日々悪化してきたので、仕方なく病院に行くと、なんと下が200、上が250という即死的な血圧。大病院に紹介状を書くといわれ、紹介先の病院では外来にもかかわらず緊急入院させられた。初めてICUというものに入った。丸2日ほど降圧剤の点滴ばかりで意識朦朧。
 このときは生まれてはじめて死を覚悟した。いま考えると面白いのは、ICUで、神のようなものに会い信仰を迫られる夢を見たことだ。夢の中ながらきっぱりと断ることができた。あやうく神秘主義に転落するとこだったよ。

 一週間ほどで一般病棟に移ったが、医者に「早く退院させろ」といったら、「死にたいのか」といわれた。なんでも、血圧が上下とも200以上の人がそのまま5年以上生存する可能性はほとんどないらしい。データを見せられても納得できず、病室から当時禁止されていなかったPHSでノートPCをネットにつなぎ、Webでいろいろ調べたら、まあなんと恐ろしいことばかり書いてあるじゃないの。ようやく事態を把握したと同時に、最近自分に起こっていることと辻褄が合っていることに気がつき愕然としたのをありありと覚えている。

 それにしても原因が不明なので、ありとあらゆる検査をされゲンナリしたなあ。脳腫瘍の疑いまでかけられてアタマにMRIの検査をされたときは耳元でガリガリ轟音がして死ぬかと思った。20日あまり入院し、数本の点滴と何種類もの降圧剤、まったく味のない病院食で過ごした結果、なんとか血圧も落ち着き退院を果たした。その後目もしっかり見えるようになり、体調はかなり回復した。

 でも原因は結局不明だった。今回のマラドーナと同じように心臓の肥大も指摘されたから、既知ではあるが生まれつきにもつ心臓病が原因なのかもしれない。もしそうならまだ爆弾を抱えているわけだ。

 じつは最近、いくつかの降圧剤が切れてしまった。通院をややサボっているのだ。はやく通院し処方をうけないと、また血圧が上昇して死の宣告をされるか、その前に脳の血管がプチッといくかだ。

 入院以来、有無をいわさず塩分は俺にとって毒薬とされた。自分でも味覚や食品の好みが変わってきたと思うよ。大好きな「一龍」のラーメンさえも3か月に1回食うか食わぬかといったところ。こらえ性のない俺が自制できるのだから我ながら進歩したものだ。いまやゆず味噌とトーフだけで飯が食えるんだから。

 阪神の星野前監督も持病が高血圧だそうで、昨年夏には試合中に嘔吐したともきく。その状況がなまじ理解できるので、退任表明を聞いたとき、阪神ファンの俺としてももいたしかたないと思うほかなかった。

 それにしても、マラドーナである。1986年メキシコワールドカップでの5人抜きは神業だった。サッカーの神を信じる奴のもとには奇跡のようなことも起こるみたいだ。
 でも彼は、サッカーの神の庇護のない人生の準備はできていなかったんだろうね。
 プロスポーツの名プレイヤーというものは、なぜか引退後その後の人生もうまくいく人と、身を持ち崩してさびしい人生をおくる人とにはっきり分かれるものだ。ペレやジーコなんかと比べるまでもなく、彼には人生における器用さがまったく足りなかった。

 神なんか信じるからだよと思いつつ・・・回復を祈る。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.04.17

マジになってきた

 同僚や元生徒らとやっている土曜の週例バドミントンは、今日ついに新たな段階に入った。同僚のI先生のご主人はポリテクの先生をされていて、最近まで国際協力事業団(JAICA)の仕事でアフリカのセネガルに行っておられたのだが、ようやく帰国されたので今回からバドミントンに来ていただいた。この人は地域のクラブにも参加されていてハンパじゃなく強い。今までのバドミントンに対する甘い認識をひっくり返された。いつものメンバーは誰もまったく歯が立たず、俺なんかいつのまにかレクチュアを受けていた。これを実力向上のチャンスととらえて精進しようと思う。
 最近やや参加者が少ないので、幹事のSくんにはがんばってもらいたい。無論、彼だけに頼るわけにもいかないけどね。

 今日は暑くて暑くて、まるでもう夏。練習に着ていった赤いポロシャツに白い汗のあとがくっきりと浮き出た。汗をかきすぎたため脱水気味で、家に帰ってからやや熱が出てしまった。夕方まで3時間ほど横になったら楽になったが、バドは真剣勝負の様相だし、これから暑くなっていくので、水分の補給を怠るとマズいことになりそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧