2005.06.26

Musical Baton

 「dragon-tail」の龍3さんから、「Musical Baton」のご指名をいただいた。これ、はじめてその存在の噂を聞いたときには、一種のチェーンメールのように感じられ、どうなんだろうかと思っていたのも事実だ。だが、このブログのサイドバーに「My Favorite Music」なんてものを掲げている俺が、自分の好きな音楽について語ることが本質的に嫌いなわけない。そこで、「Musical Baton」の形式で、これを機会にいくつか好きな曲について書いてみることにした。しかし「Musical Baton」そのものを次に送るべき人はどうにも思いつかないので、ちと保留ということにしとく。龍3さんすみません。

★Total volume of music files on my computer
(コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
 メインのWindows PCに約4GBはいっていた。

 大半はMP3だが、最近作成が手軽でサイズが小さいのでWMAがふえてきた。あと職場の仕事用ノートやモバイルノート、趣味の学習用Linux PCにも少々音楽ファイルを置いている。音楽がないと日々生きていけないと思いつつも、俺は音楽聴くと仕事の能率が落ちるのもまた事実。
 もっとも、仕事の時間の大部分は教室での講義なので、机についてヘッドフォンで音楽聴くなんてことは、テキスト原稿をあげなけりゃいけないときや、なにかの採点業務があるときに職場に残って深夜まで仕事をするときだけだ。

★Song playing right now (今聞いている曲)
「何だ、このユーウツは」ムーンライダーズ

 アルバム「DON'T TRUST OVER THIRTY」の最後の曲。古いカセットテープを発見したので、MDに落として聴いている。ムーンライダーズのアルバムはメンバーの個性もほんとにいろいろで飽きない。個人的には、このころの彼らのアルバムの最後の曲にけっこう好きな曲が多くて、「ANIMAL INDEX」の最後の「歩いて、車で、スプートニクで」も、大学時代バイクのフルフェイスメットのなかで聴きまくった
(危ないっつの)。

★The last CD I bought
(最後に買ったCD)
「A LONG VACATION」 大滝詠一

 どこが最近のCDなのかとお叱りを受けそうだが、少し前にリマスタリングCDを買って、懐かしさのあまりエントリを一本書いちまった

★Five songs(tunes)
I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

何でも聴くし、そのときどきでコロコロと変わるのだけれども・・・

1.「Epitaph」King Crimson

 日々の生活でふと絶望的になったとき、カタルシスを感じるために聴く。思いっきり感情移入して聴いたあとはけっこうスッキリ。「Starless And Bible Black」なんかも同傾向の曲だが、ジョン・ウェットンの重く太い声よりもグレッグ・レイクの朗々とした声のほうが好み。


2.「I Fought the Law」The Clash

 怒れる中学生(!)だったころ、見た目頭の悪そうなピストルズよりも、すこしは知性がありそうに見えたクラッシュが、特に攻撃的なファーストアルバムが好きだった(音は悪いが)。本当は俺はジョー・ストラマーのようなおやじになりたかったのだけれども、彼は先年亡くなってしまった。とても残念だ。


3.「剣と女王」マーク・ゴールデンバーグ

 中学から高校にかけて、ランボーの詩にはまるきっかけとなった、サントリー・ローヤルウイスキーのCMで流れていた曲だ。この曲が入ったアルバム「鞄を持った男」はLPで持っている。
堀口大學の訳で読んだ、17歳の詩人による「音楽につれて~シャルルヴィル駅前広場にて~」"A la musique , Place de la Gare, à Charleville"という詩は、まさに17歳だった俺のココロに響き渡った。ああ懐かしい。


4.「我、汝に呼びかく、主、イエス・キリストよ」J.S.Bach

 無神論者を標榜しながらなんで宗教曲を聴くのかといわれそうだが、バッハの宗教曲は聖書の物語の劇伴音楽のようなものだと理解している。この曲は冨田勲のシンセサイザーで聴くのも悪くない。この曲はタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」のテーマ曲になっていた。冨田の曲も映画を意識して「ソラリスの海」とタイトルがついていた。本当はバッハのオルガン曲では、ブクステフーデっぽい初期のもの(有名な「トッカータとフーガ ニ短調」など)が燃えるんだけれどもね。

5.「Alpha」Vangelis

 カール・セーガンのTVシリーズ「COSMOS」のサブテーマとして使われていた。宇宙関係の本を読んだり、天体写真を見ていたりすると、頭の中でいつのまにか鳴ってる。
 じつは俺はこの番組のサウンドトラックLPを持っている。冨田勲や武満徹、バッハやヴィヴァルディ、ストラヴィンスキー、ホヴァネス、ブルガリアンコーラスなんかも入っていてなかなか盛りだくさん。


★Five people to whom I'm passing the baton
(バトンを渡す5人)

これが思いつかないので困ってるんだよな。
迷惑じゃないから、送ってもいいよという方、いませんか?


※追記
 最初のトラックバックは、このところ読ませていただいているgegengaさんのブログ「かめ?」へ送らせてもらいました。ゲンタくんというかめと、うさぎなのになぜかかめえもんというブログペットがかわいいブログ。ゲンタくんのゆるりとした動きがこちらまで伝わってくる写真の数々と、ご主人よりもずっと長いエントリを書くかめえもん。「Musical Baton」をすでに受け取っている方なのですが、勝手なトラックバックを受け入れていただけるということなので、ご迷惑ではありますがトラックバック。
 あとの4名は・・・・どうしよ

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2005.06.02

大滝詠一「ロング・ヴァケイション」

lv

 このアルバムは、ある世代にとってはあまりに定番だし、アルバムや楽曲そのものについてはすでに語り尽くされているだろう。だからここでは、個人的な感慨について書かせてもらう。

 俺がこのアルバムをはじめて聞いたのは、中学2年生の夏休みだった。だからこのアルバムを通して語られる、明るいビーチや彼女との愛車でのドライブなどの、青春映画のワンシーンのような経験など、まだ体験できる筈もなかった。当時の友人たちと同じように、俺もまたこれらの楽曲に描かれているような、甘酸っぱくさわやかな恋をしてみたいとただ憧れていた。

 しかし俺が実際に高校に入ったころは、音楽の好みもかわり、洋楽ばかり聴いていた。もう記憶もあいまいなのだが、高校生になってからは、あれほど好きだった「ロング・ヴァケイション」を聴くこともほとんどなくなったのではないだろうか。ただ、誰にでも一度はある、ひどくアツくなってしまう恋の時代は、なんだか子どもっぽかった中学生時代にではなく、もう少しおくれて、まさにこの頃やってきた。

 もっとも、高校時代や大学時代の実際の恋愛模様は、さまざまな障害や紆余曲折もあったから、あのアルバムの世界のような明るいものでは決してなかったけれどもね。

 高校時代や大学時代を遠く過ぎた今になって、夏が近づくとなぜかこのアルバムが聴きたくなる。実際は数えるほどしかなかったはずの、夏の日差しの下での楽しい思い出が、鮮やかに蘇って、おもいっきり美化され、ひどく懐かしく感じられる。過ぎ去った時間はまるでバラ色だったかのよう。俺も歳をとったなあと感じる瞬間だ。

 愛読させてもらっている「ロック世代のポピュラー音楽史」「英雄列伝 大滝詠一」の項にこんな言葉があった。

「時代が変わり、21世紀初頭の不況のどん底になっても、「ロング・ヴァケイション」を聴くたびに、あの時代の記憶は見事に甦ってきます。それは、やはり音楽のもつ不思議な力なのでしょう。なんだか自分が未だにロング・ヴァケイションの続きを楽しんでいるような気分にさせてくれる音楽、そんな音楽も人間には必要です。」

 ね、開き直ってもいいよね。


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2004.12.06

Wish You It Could Be Christmas Everyday?

 12月8日にはジョン・レノンの命日がやってきて、もうすぐクリスマス。今年は特に"Happy Christmas(War is Over)"が心に染みる。戦禍の中、災害の中、あるいは飢餓の中にある人びとに、サンタクロースはなにをもたらしてくれ、クリスマスはどんな意味をもつのだろう。イェルサレムやバグダッドでは人びとが平和な時が過ごせるものだろうか。

 俺はすっと無神論者と称してきたし、クリスマスに対する宗教的感慨といったものは特にない。でもこの年末のあわただしくもわくわくするような季節感は学生時代からずっと好きだった。今年のクリスマスはどこへ行こうか考えるのも好きだったし、クリスマスから年末にかけての、新しくやってくる年に思いを馳せる感覚も好きだった。それに対して新年開けてからの、のんびりとして妙に時間の経過が遅くなったような時間感覚はどうも好きになれなかった。みんなで盛り上げた文化祭の翌日のような虚脱感。結局、クリスマスもお正月も、すぎてしまえばいつもと同じ日常に戻っていく。
 それにしても、年がら年中、人びとが神に平和を祈り、敬虔な日々をおくっていたなら戦争はなくなるだろうか。もしそうならキリスト教徒にだって何にだってなってやるよ。

 で、こないだ、BAND AIDの"Do they know It's Christmas?"が車中で聴いたFMでかかってて懐しかった。高校時代好きだったUltravoxのMidge Ureが作曲した曲だ。イギリスで20年ぶりに再録音されたらしい。この曲は本来はアフリカの飢餓のためのチャリティソングだ。言い尽くされたことだが、クリスマスは、クリスマスを祝うことができる人々のためにだけある。

 WHAMの"Last Christmas"もその頃かな。個人的に思い入れのある曲としては、鈴木さえ子の"I Wish It Could Be Christmas Everyday In The UK"あたり。この曲になぜ思い入れがあるのだろうか。きっと高校生当時の俺の気分を投影してるんだろうね。まだ人生に時間がたくさんあったし、未来はどうにでもなるような気がしていたし、きっとよい方向に進むと信じていた。

クリスマスくらい敬虔になって、平和を祈ってみるのも、悪くないかも。

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2004.06.27

音楽につれて

 中学2年生の夏休みの美術の宿題。創作意欲はわりとあったけれども、それを作品として結実させるには、何故か音楽が必要だった。大音響で鳴らすことが不可欠だった。
 普段聴くパンクやニューウェイヴでは、体が動いてしまって絵筆をとれない。次に、当時の中学生のあいだで賛否両論だった、非常にマニアックでアーティスティックな路線を歩んでいた中期YMOのアルバム"BGM"を聴いたが、これはなかなかよかった。そしてそれに飽きた頃、何気なスイッチを入れたFMチューナーから流れてきたのは、パイヤール室内管弦楽団によるバッハの「チェンバロ協奏曲第1番」。ロック小僧には圧倒的な衝撃をもたらしたねぇ。

 創作意欲は溢れかえり、イマジネーションは絵画制作そのものに留まらなかったのを覚えている。ちょうど絵画ではサルヴァドール=ダリの回顧展を見に行ったばかりだったからなおさらだ。スタンリー=クーブリックによって映画化されたことでも知られる、イギリスの作家アントニー=バージェスの小説「時計仕掛けのオレンジ」 "A Clockwork Orange"に、ベートーヴェンの交響曲に性的興奮を覚える少年が出てくるが、当時の状況は、その主人公の症状に近いものがあった。思春期の少年は、ある種の音楽を聴くと脳内麻薬の分泌量が多くなるみたいだ。

 バッハという人については当時なんにも知らなかったが、彼の作品をFM番組表で見つけると狂ったように聴き始めた。エアチェック(死語)は、バッハの作品を収めたカセットテープを増やすのに非常に重要だった。書架にはいつのまにかバロック音楽やバッハに関する書籍も増えていった。

 正直に告白すると、10代前半のある時期までは、「音楽はパンクかニューウェイヴじゃなけりゃ」なんて愚かにも決めつけていた。今となっては恥ずかしい固定観念だが、当時のディスコ系黒人音楽を頭の軽い体育系音楽とかたづけ、ハードロックやメタルの長い長いギターソロやオルガンのインプロヴィゼーションなんぞは、テクニシャンの技自慢にすぎないと本気で思っていた。今それらを聴くと、それらの良さはすごくよく分かるような気がするんだけれどもね。

 中学3年生のある日、興味本位で聴いたKing Crimson"In The Court Of Crimson King"を聴いたときにも、椅子から転げ落ちそうになるくらい衝撃を受けた。世界が見えていないことを思い知らされたよ。やっぱり凄いといわれているものはそれなりに凄いんだと実感させられた。ロックに衝動だけでなく芸術を感じた。ロクに聴きもせずにオールドウェイヴなどと蔑んでた俺は大馬鹿だったと恥じ入らざるを得なかった。

 そして高校時代はDuran Duranをはじめとするブリティッシュポップに痺れる。当時好きだった女の子はBilly JoelやCulture Clubのほうが好きだったが、俺は異様に耽美的な雰囲気をもった初期のDuran Duranが大好きだった。思い込み系音楽雑誌Rockin'Onを読みあさり、友人のバンドの真似事に付き合っていた。深夜までライヴに出かけ、楽器を弾く楽しさを覚え、酒もおぼえた。ランボーを気どって人生で一番享楽的だった高校時代。ああ楽しい思い出だ。でも、音楽だけでなんで人はこうも興奮させられるのだろうね。

 音楽や文学など芸術を語ることの楽しさを思い出させてくれた、鈴木創さんのサイト 「ロック世代のポピュラー音楽史」

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2004.06.20

Epitaph

 昔の学生運動、特に全共闘運動などの資料や、活動家の手記あるいは日記などを読むとき、いつも頭の中で鳴り響く曲は、King Crimson の "Epitaph" 。1969年発売のデビューアルバム "In The Court Of Crimson King" に収められた一曲だ。

 "Confusion will be my epitaph" 「『混乱』こそがわが墓碑銘」と歌うクリムゾンの叫びは、そのまま同時代の極東の小さな島国で起こっていた稚拙で無計画な叛乱を感じとっていたかのようだ。彼らの政治的主張はすでにお話にならないが、学生時代を遠く過ぎてしまった自分には、焦燥感ばかりだった学生時代が思い出され、情緒的には深く共鳴する部分もある。だから、誤解を恐れずに書くと、自分自身のあやまちと重ね合わせ、彼らの苦悩の記録を読むのは嫌いではない。

 彼らの時代や俺の学生時代と同じく、現在の社会にも理不尽なことは多く存在する。もはや大きな叛乱も起こらず、ある種の無力感さえ漂っている。しかし当時より矛盾は深まり、むしろ先鋭化していると言えるかもしれない。我々の前に広がるのは、ただ暗黒の世界 "Starless and Bible Black" とでもいうべきだろうか。

 だからといって俺は彼らと同じような結論には至りはしない。少なくとも虚無的になることはない。彼らが大切に持っていた何かについて俺はどうにも価値を見出せないかわりに、彼らが否定してみせた、粘り強く継続して取り組むべき何かが、俺にとってはなによりも大切なものであることだけははっきりしている。

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天空のバッハ

 7年ほど前、職場で購読している朝日新聞の夕刊で読んだ、グレン・グールドと漱石についての興味深い記事を覚えている。グールドは、漱石の「草枕」を英訳で読んで傾倒し、音楽劇に仕立てたいと考えていたという。しかし結局、1981年に彼は死去し、それは実現しなかった。だが、俺はその楽劇とはどのようなものになりえるだろうかとあれこれ想像してみた。

 カナダ生まれのグールドは、その独特の完全主義ゆえか、コンサートを嫌い、32歳のときから50歳で亡くなるまでの18年間、コンサートを一切行わず、スタジオ録音を熱心に行ったことで知られる個性的なピアニストだ。

 蛇足だが、カート=ヴォネガットJr.の原作をジョージ=ロイ=ヒル監督が映画化した「スローターハウス5」。この映画は一度しか見たことはないのだが、冒頭からグールドのピアノで「チェンバロ協奏曲第5番第2楽章」が流れていたことが鮮明に思い出される。そうでなくてもSFばかり読んでいた中学高校時代の俺にとって、グールドのバッハは格好のBGMだった。ほとんど毎日「平均率クラヴィーア組曲」や「ゴルトベルク変奏曲」を聞いていた。彼のレコードを注意深く聞いていれば、彼が自分の弾くピアノとともに「歌っている」様子を聴きとることができる。

 さらに想像をめぐらそう。俺の物の見かたに強く影響を与えてくれたカール・セーガン博士についてはすでに書いた。思い出されるのは、セーガン博士の発案で、惑星探査機ボイジャー1号と2号に積まれた「地球の音楽」というレコードである。人類史上はじめて人工物として太陽系外に出た幸運なこの兄弟には、さまざまな人種によるあいさつの言葉や、ザトウクジラの歌などとともに、グレン・グールドの弾くバッハの「ゴルトベルク変奏曲」が収められたレコードが、再生装置とともに積み込まれていた。

 遠い未来、宇宙のどこかで誰かがグールドの引く個性的なバッハを聞いているのを想像するのはなんとも愉快なことだね。

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2004.06.13

踊るジジばば

 政府は自衛隊の多国籍軍参加を可能とする法的根拠は、イラク特措法についての政令の改正で処理するという。国会の議論もなく、行政府の長である内閣総理大臣小泉純一郎の一存でことが決定するということは、日本にもいつのまにかナチスドイツのような、行政府に立法行為を認める全権委任法のようなものが制定されていたということなのだろうか?

                ※                  ※

 以前、中学生のとき教えた生徒で、いま高校生の紫朗くん(仮名)という男の子が、音楽のことでメールで質問をしてきたことがある。俺に音楽の趣味があることを覚えてくれていたようだった。分かる限りにおいてコード理論のことや、PCのシーケンスソフトのことなどを答え、とある作曲入門の本をあげたのだが、それ以来彼はときおり自作曲のMIDIファイルをメールで送ってくるようになった。そこで、何種類かにアレンジして自宅の機材で録音し、とある場所にWMAファイルとしてアップロードしておき、ダウンロードしてもうらうようにした。いわばコラボレーションである。

 そのうちの一曲「辺境の村のジジばば」(なんという題名!)。原曲はパッヘルベルの「カノン」のコード進行を使った、ロールプレイングゲームのBGM風の短い曲。そこで、彼の原曲に少しだけアレンジを施したものと、ロック調のもの、ダンスミュージック調のものを3つ作ってみた。
 そのうち、最後に録音したダンスミュージック調のものがまだネット上にあるので、Windowsをお使いのみなさんに聞いていただければ光栄だ。我ながらどっかで聴いたことがあるようなアレンジになってしまったと思うし、紫朗くんによる原曲が短いのでループしまくっているが、これは昔のゲームミュージックだと思ってどうか許してほしい。

 個人的に、パッヘルベル「カノン」のコード進行は通俗的だとは思うが、明るく前向きな印象で好きだ。中島みゆき「時代」、サザン「yaya あの時を忘れない」、山下達郎「クリスマスイブ」、Village People( & Pet Shop Boys ) "Go West"などなど、調は異なるがこのコード進行を使っている曲はけっこう多い。

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2004.06.11

我が心のレイ=チャールズ

 俺は中学生のとき、映画「ブルース=ブラザース」でレイを知った。主人公のジェイク率いるバンドが、楽器を調達に行く楽器屋のおやじ役で出演していた。そして一曲だけ歌ってみせる。おんぼろエレピも彼の手にかかるとまあなんとヒップな音を出すこと。そしてバンドはそのぼろピアノを買っていく。
 ジョン=ランディスによるあの映画は、アメリカの黒人音楽、いやアメリカ黒人への賛歌だ。ヒトラーを崇拝するネオナチ、白人好みのコンサバなカントリーバンド、さらには警察までをも敵にまわしながら、ジェイクとエルウッドは、孤児院を売却から救うためのチャリティライヴを演るべく奔走する。彼ら兄弟は白人ではあったが、教会付属の孤児院で黒人とともに育った。最近もBS2で放送されていたが、ありゃ名作だよ。DVDがあるのなら欲しいねぇ。

 かつて赤狩りと戦ったアメリカ映画界は、まだまだ棄てたものではない。マイケル=ムーアをはじめ、まだまだ「闘う」映画人はいるものだ。

 そのレイ=チャールズが亡くなった。享年73歳。かつて強度の麻薬中毒と戦い、それを克服した彼には、まだまだ元気でいて欲しかった。彼はゴスペルとブルースを融合しソウルミュージックを作りあげた。7歳で失明し、15歳で孤児となったというレイ。
「社会の底辺。我々より下には地面しかなかった」と彼は言った。だから彼のソウルは本物だった。神を信じない俺にも、彼の音楽は確かに伝わってくる。

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2004.04.24

ソラリス再び

 タルコフスキーの「惑星ソラリス」のDVDを買ってしまったことは以前書いたけど、このところまるでBGVのように繰り返し流してる。じっと見ているわけじゃないが、あの独特の音響と時おり流れるJ.S.バッハのオルガン曲が心地よい。
(原曲はコラール「我、汝に呼びかく、主イエス・キリストよ」)

 大バッハの曲が流れるSF映画には、カート=ヴォネガットJr.原作、ジョージ=ロイ=ヒル監督の「スローターハウス5」がある(こちらはグールドの弾くピアノだ)。バッハの楽曲がもつ内省的な響きは、ある意味SFのもつ思弁的な側面にぴったりだ。自分としては「自我の目覚め」の時期だったと思う中学生のころ、バッハの音楽に出会い、さらにSFというものにも出会って世界がひっくり返るほどの衝撃を受けたので思い出深いよ。

solaris2 そのころスタニスワフ=レムの原作小説は読んでおり、すでに大好きな作品のひとつとなっていた。しかし、タルコフスキーの映画は名作として知られており憧れていたものの、実際に接することはできなかった。当時、ソ連の映画のビデオなどそうそう出回っていなかったし、第一中学生にそんなものを買うお金はなかった。映画のビデオはそのころの俺にとってうんと高いものだったのだ。
 大学生のとき、ようやくビデオを入手してみたタルコフスキーの映画は、独特のノスタルジックな映像にはじめ違和感もあった。おかげで原作の緻密さは感じられずむしろやや冗長に感じられたが、これは監督の趣味だったようで、後になって「ノスタルジア」とか「サクリファイス」でも語られたイメージだとわかった。
 彼の映画とそのスタイルは独特の個性をもっている。初期のいくつか作品を見るうちに好きになっていった。とくに「僕の村は戦場たった」はモノクロだが衝撃的だ。一方で、晩年の作品に目立った「惑星ソラリス」とも共通するソ連の映像作家らしからぬ一連の宗教的で美しいイメージにはついていけないところもあり、やや困惑したことも事実だ。まあ、だからこそ彼は亡命を余儀なくされたのだろう。

solaris4  プロローグ(というには長すぎるね)の地球上のシーンは、彼の独特の詩情を組み込んで原作の説明的な部分を映像的に消化しようとしたのだろう。原作では主人公がソラリスステーションの図書室にこもってソラリス研究について長々と調べる場面があるが、これはとても映像化になじまない。ただ現在映像化するなら、バートンの報告を主人公が図書室で映像資料としてみるだけでもいいのではないかと思う。
 映画は、原作を読んでから見た「2001年宇宙の旅」と同様に、原作への一種のイラストレーションの役割を果たしてくれた。もはや小説を読み返すとき、アタマに蘇るイメージはタルコフスキーの映画のそれだ。ケルヴィンはドナータス=バニオニスでなければならず、クリスはあの美しいナタリア=ボンダルチュク以外考えられない。スナウトやサルトリウスもあのロシアの渋い俳優たちでなければならないのだ。

 原作と映画には微妙にテーマのずれがあることはわかっている。レムのいう「異星の未知の知性体との出会い」よりも、タルコフスキーは「故郷や肉親への郷愁」のほうに関心があったのだろう。映画についての有名なレムとタルコフスキーの対立はそこにあったのに違いない。小説と映像では表現できるものが違うからある意味それは当然だ。「2001年」にだってクラークの小説とクーブリック映画ではの解釈に違いがある。レムやクラークはあくまでSF作家だが、タルコフスキーやクーブリックはあくまでも映像作家だからね。

 レムについては、科学者でハードSF作家でもあり、自身SFファンの権化のような石原藤夫氏が「『ソラリス』の主人公は科学者なら最低限やるであろう実験も行わないで、ただ悩んだりしている。理系からみれば理解に苦しむ。レムはあくまで文科系のSF作家だ」というようなことを書いていたが、同じく文系の俺はレムの魅力はむしろそこにあると思うわけだ。そしてタルコフスキーもまた文系人間の典型だろう。

 俺が科学者だったとしたら、科学のため、研究のために恋人の姿をしたものをばらばらにして研究できるだろうか。もしそうなら、科学者にならなくてよかったかもしれない。いや、なれはしない。レム以上に文系人間である俺は、科学的思考に憧れながらも、レムやタルコフスキーの悩み多き主人公に強くシンパシーを覚えてしまう。

 こうなったら、ソダーバーグのほうも見なけりゃね。

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